2007-12-31

私がケニアで着てた服 その1



























ここまできたら止まらなくなってきました。

次ぎ行ってみよー!





私がケニアで着てた服。




















Lamuの自称アーティストが描いてくれたアフリカ大陸の形したボブマーレーのTシャツ




私がケニアで着てた服。




















ナクルの竹下通りで購入したアフリカっぽい感じがするバックスバニーのTシャツ




私がケニアで着てた服。




















2回しか着るときのなかったハデハデな水着



私がケニアで着てた服。






















広域研修で参加できなかったナイロビマラソンのTシャツ







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2007-12-30

私がケニアで着てた服 その2

































私がケニアで着てた服。






















ハートにシュートプロジェクトでみんなでそろえたサッカーのユニフォーム。




私がケニアで着てた服。




















Kujuana Fairで購入したラグビーナショナルチーム柄のセーター




私がケニアで着てた服。




















訓練中に購入したJOCVトレーナー。あったかいが手洗いはきつくてどんどん臭くなる。


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私がケニアで着てた服 その3











































私がケニアで着てた服。




















トイマーケットで買ったタイダイのパンツ




私がケニアで着てた服。





















ロンドンで買った小ちゃくたためるユニクロUKのナイロン地パーカー



私がケニアで着てた服。
















後輩隊員が持ってた手ぬぐいを借りパク




私がケニアで着てた服。





















訓練所でもケニアでも俺の代名詞となっていたロンドンスポーツアメ横店で買った緑のジャージ



他にもたくさんあるけれどキリがないから。。

これにて、、

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2007-12-29

年忘れ大忘年会

高校ラグビー部の忘年会。

集まったメンツを見てこれはやばいなって思った。

予想通りベロンベロンに酔っ払って気がついたら友達の家で寝てて

二人で「俺たちお金払ったのかな?」なんて言いながら財布を確認するような
いつもの飲み会。




駅に向かう途中に「昨日は楽しかったなぁ。全然覚えてないけど」っていう
聞き慣れたセリフ。

こんな酔い方ができるような友達も減ったような気がするな。





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2007-12-28

俺の歌




沖縄のときに出会って毎日遊んでいたケイゴとユージ君に会った。
2年半ぶりくらいなのかな。。

みんな全然変わってなくってうれしくなる。

ただみんな平等に年をとっていてお互いに感じる悩みも変わっていたり、変わっていなかったり。

それからケイゴが俺のために作ってくれたって言う曲を聴いた。

誰かに音楽を作ってもらうなんて初めてだしありえないと思っていたからなんか
恥ずかしくって家でこっそり聞きました。




歌詞ばかりが気になってしまって最初はなんだかよくわからなかったんだけど
何度か聞いている間にケイゴ節がわかってきて単純にいい曲だと思えるようになった。

いつかライブできかせてな!




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2007-12-25

クリスマス?そりゃハローワークだろ。




クリスマスといったらこいつと会わなければならない。

ということでそいつとハローワークデート。
だったんだけどそいつは失業保険を持っていないらしく
一人で淋しくクリスマス@ハローワーク。

そんでその後に17-2ケニアさいたま会ってかんじで浦和のモツ鍋屋へ行った。

去年のクリスマスのナイバシャを思い出しながらあったかい居酒屋で
モツ鍋を食べていっぱい飲んで「これからどうすんだよ?」
みたいな当然の話の成り行き。

「じゃぁ、ニャミラに行くか!」

ってことでニャミラに行っていた同期の隊員の実家の富山へ行くことになった。

電車を携帯で調べるとチョーいいタイミングで夜行列車があることを知る。

じゃぁ、行っちゃおうぜ!って本気で盛り上がったときに誰かが気づいた。




「ニャミランに確認しといたほうがいいんじゃないかな?」

当たり前のことを大の大人3人が本当に気づいていなかったんだ。
これもケニアの後遺症なのだろうか。

彼女に電話したら「今、大阪だよー」ってことで淋しく帰宅しました。







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2007-12-23

結婚したいぜ




今日も俺がケニアに行っている間に結婚した友達に会いに鎌倉まで行ってきた。

奥さんの手料理でビールをハイペースで飲んでいるうちに気がついたら寝てた。

何しに鎌倉まで行ったのか?

それは酔っ払って寝るために行ったんだよ。

そこに意味があるんだぜ。





結婚お目でとー。

おいらも結婚したいぜ!




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2007-12-22

お墓参り

派遣中に事故で亡くなった同期のお墓参り兼飲み会に行ってきた。

やっぱり無念だ。

でも、たくさんの人がお墓参りに来てくれているようでニャンコも
あの世であの満面の笑顔を見せていることだろう。

コンピュータの隊員がかなりの人数集まった。

お墓参りっていうイベントがあったとはいえやはりこのコンピュータ技術隊員の
ネットワークは強い。

前にも言った気がするけど超多忙な経験を持つ人たち、人間性が希薄になりがちな
この業界経験者は人と会えるチャンスの大切さを知っているんだと思う。




昔の友達を大切にしない人は信用できない。

会えないのは仕方の無いことだけれど仲間は一生大切にしていきたいものだ。




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2007-12-21

日本の保健ODAはどうすべきか?

JICA主催のシンポジウムに参加してきた。

日本のODA予算が削減傾向にある中で日本の保健分野NGOはどう生き延びていくか?

予算の無いなか日本が得意とするのは草の根レベルの援助だったりする。
協力隊のように現場で活動する援助など。

そのシンポジウムでも言及されていたけれどこれまでの援助で現地の
人間でもそうした人材はそれなりに育ってきているのだ。

そうしたなかで日本はどうしていくべきなのか?


そんな興味深いシンポジウムに参加してきた。

パネリストにはケニアでもお世話になった大阪大学の中村先生がいたので
その人にも帰国の挨拶がしたかった。

中村先生は俺のことを覚えてくれていた。

「まだケニア臭さが残ってるね」

偉い先生の集まるシンポジウムだからできるだけきれいな格好で行ったのに。。


で、シンポジウムだけど内容がどこかピントはずれだった。
テーマからずれているのだ。結局日本の保健ODAはどうするんだい???


そんななか中村先生はやっぱり違っていた。



日本保健NGOの構造の問題を提起するのみでなく具体的な改善策まで用意してあった。
ケニアでの彼のプロジェクトの事情も知っている俺としては
”こんなにいいアイデアがあるんじゃないか!” と胸を躍らせた。

だけどその具体的な案については何も触れられずにそのシンポジウムは終了した。

今後どこかできちんと取り上げられないようでは日本のODAはまさに税金の無駄遣いと
されて削減の一途をたどるだろう。

そして日本はさらに世界的な発言権を失っていくのだ。


その後は久しぶりに会った同期と楽しくお酒!イェーイ。
ガーナの陸上隊員とモザンビークのエイズ対策隊員。

楽しいね。

やっぱりODAは質にこだわっていかないとだめっすよ。



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2007-12-18

やっぱり変だよ、Japan。

俺がケニアに行っていた間に結婚した友達にあった。

大学時代に俺が紹介した女の子と結婚したそいつは毎日遅くまで働いている。
そんな中、時間を割いて俺と会ってくれた。奥さんも一緒に。

忙しいだんなの帰りをを健気に待っているという奥さん。

だんなは奥さんに愚痴は一切こぼさずに俺にこっそりこう言った。




「今年は転職しようと思ってる」

仕事は楽しいといっている。

どうして仕事と家庭を両立することができないんだろう。

こんな世の中になってしまったのはどうしてなんだろう。

何か変だよ、JAPAN。



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2007-12-16

恋に恋して




小学校からの友達と会った。

地元の温泉で酒飲んで風呂入って。

高校でてすぐ女を追っかけて九州まで行ったことのあるそいつは
俺がケニアに行く前にこんなことを言ってたよ。

「お前らは本気で女に惚れたことがねぇからわかんねんだよ」


そんで今日はそいつこんなことを言ったよ。

「人生一度くらい恋してる自分に恋してもいいんじゃねぇのか」


アフリカでの二年を振り返ると俺は人を愛しては振られてばかりいたような気がする。





みんなにバカだねって言われる。
自分でもバカだと思う。

でも、俺は誰かを愛していたい。

人を好きになると自分がやさしい気持ちになれるから。
人と別れると死にたいほど悲しい気持ちになる。

もう、やさしくなれないって思う。

だけど、その人のことを思い出すとまたやさしい気持ちになれる。
もっとやさしくなりたいって思うからまた誰かを好きになる。

そんな風になれたってことが痛いほどうれしいんだ。

今は痛くて痛くてたまらないんだけれどね。。


いつか俺はGiving treeみたいになれるのかな?

Giving treeになったら幸せになれるかなんてわからないよ。

だけど俺はそんな強くやさしい人間になりたいんだ。


とことん惚れて恋に恋してやさしく、強くなれるなら俺はこれからも誰かを愛していたい。






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2007-12-15

居酒屋にて

3年前まで一緒に働いていた同期たちと飲んだ。

年末の金曜日。場所は新橋。店も予約していない。

俺が「和民でいいじゃない」って言ったら

「おいおい、俺たちもう7年も働いてるんだから和民はないでしょ。」

なんて言われちゃった。

結局、たいして美味しくもないコジャレた居酒屋で2時間飲んで食って8000円。

これってケニア人の学校の先生の月給ですな。






3年も経つと彼らの給料もそれなりに上がっていて俺も辞めてなければそれくらい
もらえてたんだなぁ。。なんて思ったりもしました。

転職して大台に乗ってる人なんかもいたりして。

だけど結婚してマンション買って車買って、それで自分が使える金額はそうでもなかったり。
どれだけ稼いでも生活が良くなるわけでもないのかな?


とにかく一生懸命働いている彼らを尊敬もするし、
一線から離れた自分を卑屈に思うこともない。

ただただ、異なる人生を歩みながらも共に酒を飲めるというありがたさを噛みしめた2時間。

今後ともよろしくね。

でも、次は安いところでお願いします。





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2007-12-13

任務完了



本日の帰国後オリエンテーションをもって俺の青年海外協力隊は任務を完了した。


いつかブログにのせようと思って書いていた文章をこのタイミングであげておこうと思う。
この文章はケニアの終盤に書いたもの。かなり個人的な記述もあるし、
とりとめもなく書いてしまったけれど決して忘れてはいけないことだと思うので敢えて記載しておく。





”どうして協力隊をやろうとしたの?”


この質問は隊員にも、そうじゃない人にも必ず聞かれる。

俺もめんどくさくない時はちゃんと答える。

この質問の答えってホントに大事だと思ってるから。


ときにその答えを忘れてしまう人がいたり、過去のものにしてしまったりする人がいる。

もちろん、協力隊は当初期待しているものとはだいぶ異なるからその答えを修正しなけ
ればならない場面はよくある。
だけど、その答えが明確であればあるほど、強ければ強いほど軌道修正がしやすくなる。


そうじゃないと

"あの時はこんな風に思ってたんだけど。。"

"もう、いいや。。"

といった諦めになってしまう。



で、俺はなぜケニアにいるのか?





高校生の時に協力隊をテレビかなんかで見て "やってみたいなぁ。" って思った。

それまで俺は自分を特別な存在だと思う若者特有の自意識過剰の傾向が強かった。

"俺が世界を変えるんだ" みたいな事を本気で考えてた。


でも、大学に入って俺より頭の良いやつや俺よりすげぇやつにたくさん会って
自分が特別な存在でないことを思い知った。


授業も生活もぜんぜん興味を持てなくなり大学を辞めようと思ってたときに
大学の近くで協力隊の説明会が開かれた。

"そういえば、俺は協力隊やってみたいって思ってたよな。。" と何気なく説明会に参加した。

だけど、そこにある募集要項には俺の経験、技術でできるものは何もなかった。

"俺はボランティアすらできないちっぽけな人間なのか。。" ってその時は思って落ち込んだ。


それからしばらく鬱病のような時期が続き、俺は死ぬことばかり考えていた。

”死後の世界で俺は何かができるんだよ”

なんてことを考えていた。

でも、とある本に出会って "とにかく生きてみよう" と決めた。


世の中を変えるとか、良くするとかそういうのではなくて自分の人生を生きてみようと思ったんだ。


就職して結婚して子供つくって家族を守る。

そんなのが生きる意味だと強く思ってた。


で、就職した。文学部出身だったけど縁があってコンピュータの会社に就職した。

そこで、一生懸命働いた。

長いこと付き合っていた彼女を幸せにしてやろうと強く思ってた。

俺の親父みたいに自分のやりたいことよりも家族を守るような姿勢に憧れてた。


でも、俺の心の奥のほうで何かが聞こえるんだ。

聞かないように、目をそむけながら働いていたんだ。朝から晩まで。

俺はこの女と幸せな家庭を築くんだって、耳をふさいでいたんだ。


その声に耳を傾けるのが怖かったんだ。

また、あの時のような苦しい思いをしなければならないかと思うとすごく怖かったんだ。


だけど、もう逃げ続けることはできないというのもうすうす気づいていた。

もう一度、自分と向き合っていかなければならない時期に来ているんだと思い始めていた。



そんな時にまた協力隊の説明会の情報が俺の目に飛び込んできたんだ。

"ひょっとして今の俺なら大丈夫なのかな。4年もコンピュータ会社で働いたんだし。。"


協力隊募集の電車内つり革広告はこう言っていた。


『次はあなたの番です』



そして、俺は会社を辞めた。彼女とも別れた。

でも、まだ協力隊に行くとは決心できてはいなかった。



俺にはある友達がいる。

そいつは俺が心の奥の声を封じ込めようとするときに決まって俺の前に現れる奴だ。

就職を決めたときだったり、結婚をしようと思ってたときだったり。

そしてそいつと会うたびに俺の心の声がいっそうでかくなるんだ。

そして俺は会社を辞めた後すぐに沖縄に行ってそいつと再会した。


沖縄にいた半年は自分の心の声を聞く時間だった。

"俺は天才じゃないし、特別でもない。俺は世の中を変えられない、救えない。"

"でも、俺はそうやってしか生きられない。"


"自分がちっぽけなのかどうか試してみればいい。アフリカで。"


そして俺は今ケニアの大地に立っている。


その想いを忘れたことはない。

だから、辛いことがあっても自分の力で乗り越えていこうとしてきた。

何があってもケニア人のせいにしたり、歴史のせいにしたり、文化のせいにしたり、
JICAのせいにしたり、日本人のせいにしたりしないようにしてきた。

もちろん、潰れそうなほど辛い時もあって人に頼ってしまったり、引きこもりになったりもした。
誰かを傷つけたりもした。


そんな時に俺は "日本だったらもっとやれるのに。。" って思っていた。

そして、その度に "今までの俺はいろんな人に助けられていたんだな" って思うんだ。



今はこんな風に思ってる。

俺はちっぽけだ。

そんな俺がこれだけやってこれたのは気づかないところで誰かが俺を助けてくれてたんだ。


俺は世の中を変えることはできない。

俺は世の中を救うことなんてできない。

でも、俺にも何かができる。そのための場所が必要だ。

そこにいるみんなが居心地がよくて自分らしく自分を出せるようなそんな場所。

そんな場所から世の中が少しでも良くなるようなきっかけ作りをしていけるんじゃないか。

その場所をつくろう。


そんな風に思ってる。






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2007-12-12

後悔の無い人生なんて俺は信じない




ケニアで出会った数多くの人たちから俺はいろいろな言葉をもらった。
その全てが俺の血となり肉となっている。


まったく別のタイミングでまったくの別人から同じ様な言葉をもらったことがある。


俺「俺は今までの人生まったく後悔してないっすよ」

男A「それは君がそれだけの選択をしてないだけだな。それだけの人生なんだよ。」


俺「俺すげー失敗をしてしまったよ。きっと後悔するけどそこから学べる気がするんだ」

男B「何かっこつけてんだ。人生にはクソの足しにもならんような失敗もあっていい。」


今日はその男Bと一緒に飲んだ。

彼はホントにかっこいい。どこからそんな言葉が出てくるんだろう?
って思うほどに深い人生を送っているんだろうなと言葉の端々から思わずにいられない。


今までは後悔することって良くないことだと思ってた。

もちろんしないほうがいいことには変わりはないけれど、
これだけ長い時間を生きていて、これだけ日々選択を迫られて生きていれば
それは仕方のないことかもしれない。

それでも、俺は後悔のない人生を送ってきたと思ってた。

失敗はたくさんしてきたけれどそれを糧にして生きてきてその度に成長できたと思ってるから。


だけど、それって危ういんだよね。






気付かないところでそういう甘い選択をしてきたのかもしれない。
自己正当化で自分の過去をゆがめてしまっているだけなのかもしれない。


取り返しのつかない失敗。
何も生まない失敗。

そういうことを知らなかっただけなのかもしれない。


今は後悔というものの考え方が変わってきた。


あの時の俺はダメだった。

って認めて、決して忘れない。

そんな物の一つや二つ持っていない人間は信用できないって思う。


過去は過去。


なんて言ってる人はきっと同じ過ちを繰り返して、また、誰かと自分を傷つけて生きて行くのだ。


今は死ぬほど後悔しながら生きている人間を美しいと思えるようになった。


いいじゃないか。後悔したってさ。



後悔のない人生なんて俺は信じない。





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2007-12-10

健康でいてね




日本に帰って一番最初にしたこと。

それは温泉。

日本に帰って一番最初に挑戦したこと。

それは禁煙。


この二年で湯船に浸かったことはない。もちろん温泉なんて夢のまた夢だった。
日本食を恋しいとはあまり思わなかったけれど温泉だけは何度か恋しく思っていた。

それで家につくやいなや親父と一緒に近所の温泉へ!

”やっぱ、最高だね~”

(あれ?親父かなり痩せたんじゃない?)


で、家に帰ってビールで乾杯。
親父と母ちゃんと3人でナベを囲んで土産話で花が咲いて
”今夜は酔っ払うなぁ”って思って心もウキウキ。

(あれ?親父もう飲まないの?)


親父が眠った後に母ちゃんから衝撃の事実を聞いた。

”親父は元気なのかい?すっげー痩せてたし、酒も全然飲まないけどさ。”

”あんた、大変だったのよ!”




まったく知らなかったんだけど俺がケニアに行って数ヶ月のころに親父は
脳梗塞で倒れてたという。
幸い軽症で後遺症も残らず今は元気にやっているとのことだけど
それから酒は控えているとのこと。


俺が何度もケニアに遊びにおいでと誘っても来なかったのにはそんな事情も
あったらしい。

俺に気を遣わせまいと2年内緒にしていた両親の気配りに泣いた。



”ところでコージはタバコ止めたの?全然吸ってないじゃない。”

”うん。昨日から禁煙してる。”

”イライラするでしょ?”

”うん。めっちゃ吸いたい。”

”吸えばいいじゃない。”

”タバコ全部捨てちゃったから無いもん。”

”どうせ一度病気になるまでは止められないのよ。ほら。”

俺の家族は誰もタバコを吸わないのにどこからか母親はタバコを持ってきて俺の前に差し出した。

意志の弱い俺は母親のやさしさにかこつけて禁煙を失敗した。


煙が目にしみるぜ。。



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2007-12-09

AM BACK TO JAPAN



日本に帰ってきた。2年ぶりに。

帰ってきて一番最初に行ったのはやっぱり風呂。

2年ぶりに湯船に浸かった瞬間はやっぱり日本人でよかったって強く思ったね。


変わらないもの。変わったもの。

変えたいもの。変えちゃいけないもの。





この見極めをしていくことが俺の最初の仕事だと思う。

とにかく、無事に日本に帰ってきました。

みんな、アサンテサーナ!!!




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2007-12-08

エジプトの旅



ケニアを出てエジプトを経由して日本へ帰る。

エジプトに寄ったのは砂漠でケニアの二年を振り返ってみたかったから。

ケニアからまっすぐ日本に帰ったんではケニアの二年がホントに夢のように
なってしまいそうで、怖くって。。

だから、同期で最も尊敬する男と一緒にサハラ砂漠を10日間、
らくだに乗って行けるところまで行ってみようという旅。

だから、遺跡やナイル川クルーズとかには目もくれずに目指したオアシス。
それもできるだけ人が行かなそうなオアシスへ!

そこはSIWAオアシス。

静かなオアシス。




でも、どこを探してもラクダはいなくって、街で一人だけラクダを持っているという
人を訪ねて一日歩いたのだけど結局その人には会えずじまい。

結局、ラクダでの砂漠ツアーもあきらめてただただのんびりと時間がたつのを見ているというなんとも贅沢な時間を過ごして帰ってきました。


で、俺がエジプトで考えていたこと。

「ケニアが恋しい」

これに尽きる。

俺がどれほどケニアを好きでいたかを思い知ったエジプトの旅。

なんとなく甘酸っぱいエジプトでした。









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2007-11-27

出ケニア



朝から同期の隊員が次々と出国していく。

みんな一緒に帰れたらよかったのになぁと思う。




タンザニアに行く人。

日本に直帰する人。

マルタ島に行く人。

次々に見送って、自分の番になっていろんな人に見送ってもらって、

自分がどれほどケニアを愛していたか強く感じて、ケニアを離れるのが淋しくなって、
別れの涙に出会えた喜びを感謝して、全てを包み込むめるような強い男になりたいと
思いながらケニアを後にした。

いざ、エジプトへ。



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2007-11-26

The Last Night















荷物も全て郵送して、もう帰るだけ!

でも、パーティーは続く。

今日は調整員の人たちがパーティを開いてくれた。

だけど、俺たちの目的はそれだけじゃなかったんだ。

調整員の人たちには申し訳ないけど俺たちの映画を上映するのが最大の目的。

3時間ほどのパーティだったけど1時間を上映会に当てさせてもらった。



新しく来た調整員とかはほとんどわからないだろうけど俺たちにとっては最高に感動の映画。


この映画を何十年たってもみんなで見れたら最高に素敵だと思う。


ということで同期の隊員とはオリンピックイアーに集まることを約束。

名前の逆順にホストを決めた。

俺がホストになるのは今から33年後。

その時この映画を見て何を感じるのだろうか??







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2007-11-25

ハートにシュート第?段!



ってことで今回はストリートチルドレンのチームとティカの少年サッカーチームと
ティカのスタジアムを貸しきって試合をしたんだ。

とても強いチームだったけど俺たちもいつも以上に気合が入っていて勝ったんだ!

そしたら全国紙の新聞に小さいけど記事が載っちゃった。


女子隊員もお弁当作ってくれたり、JICAの職員が車出してくれたりと
なんかすごくみんなのまとまりができたような気がするこのサッカー。

最初から参加してきた俺は最後に胴上げまでしてもらってなんだか恐縮。




いろんなつながりを持てたサッカー。

協力隊員。

ケニア人。

JICA.

NGO。


いろんな人のハートにシュートが打てたのかな?



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2007-11-24

Kwaheri party!!




後輩隊員が開いてくれた俺たちのクワヘリ(さよなら)パーティ。




いかつい男ばかりの1つ下の隊次が開いてくれた。

そいつらが柄にもなく歌を歌ってくれて、俺たちもみんな泣いてた。

俺は任地と同期の隊員が好きすぎてあまり後輩隊員の面倒を見てあげられなった。

それが少し心残りだったんだけど、素敵なパーティーを開いてくれた。

アサンテサーナ!





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2007-11-23

帰国だよ、全員集合!!





今までありそうでなかった同期全員集合の旅行。

今回こそは!ということでみんな忙しい中をなんとかアレンジして実現したナイバシャ旅行。

去年のクリスマスで失恋ボーイズで行ったあのヘルズゲートにもう一度!

ということでみんなで行ってきた!




シマウマとイボイノシシに見られながらみんなで野球した。

その後は山奥にあるロッジを貸切で!

そのロッジは本当に最高だった。

パークの中にあるわけじゃないんだけどロッジの前の川にはかばが泳いでた。

みんなでカレー作って酒飲んで、人生ゲームして、サイコロトーク。

予想通りたいていの人はすぐ寝ちゃったけれど、それもなんとなく気持ちよい夜だった。





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2007-11-20

Kwaheri Wainaina



15分の睡眠のままナクルを後にしてナイロビへ。

あれだけ長引いていたハイウェイの工事が最後のナイロビの時に開通していた。

3時間かかっていたナイロビへの道が2時間でついた。



ワイナイナがナイロビまで送ってくれた。

そして、最後の俺の仕事。

ワイナイナの仕事の斡旋。

前のボスの新しい職場に挨拶しに行って俺が書いた最後のレポートを渡した。

どれだけワイナイナが俺の技術を吸収したかって言うレポートを。
で、ボスに「ワイナイナはPMOオフィスで働かせておくのはもったいない。あなたのところで働かせてみてはどうか?」と訴えたんだ。

彼は理解もあるし、頭もいいからきっと力になってくれるはず。

それはコラプションなんかじゃなくてケニアのためになると信じてる。


そして、ワイナイナと最後の時。




俺は泣きそうだった。ワイナイナも泣きそうになってた。

でも、それはあっさりした瞬間だった。

でも、深く通じ合った時間だったと思う。


「本当にワイナイナがいてくれてよかった。本当にありがとう。」





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2007-11-19

Final Duty

今日は最後の出勤。

だけど、片づけが終わんなくって4時くらいに出社。

その前にも郵便局の私書箱を解約したりと最後の片付けが目白押し。

職場に行って今日が最後だよって伝えると予想通り

「コージのパソコンちょうだい。コージのバッグちょうだい。」

そう言われるのがわかってたから仲のいいスタッフにしか直前まで
帰国のことは言ってなかった。

できれば、すっきり帰りたかったから今日は職場に行きたくなかったんだけど
明日のナイロビまでの車のことを確認しときたくて職場に着たんだ。


ボスは俺に快くナイロビ行きの車を手配するといってくれた。

でも、ここは悪評高いPMOリフトバレー。

最後の最後まで油断は禁物。

「明日の車何だけど大丈夫?」

「ハクナマタータ。これがドライバーの電話番号だから連絡しておけ。」

で、電話すると

「あれ?俺は明日オガンゲとカカメガだけど?」

どうなってるの?ワイナイナ~。




まぁ、要するにいつものようなコラプションです。

それを解決するためにワイナイナは夜遅くまで奔走してくれたんだ。

で、デイダンがオフィスにやってきて最後のプレゼントだって言って
象の木彫りをくれたんだ。

最後の最後までどたばたで、片付けも終わってないのに職場を出たのが夜の8時。

ワイナイナは「こんなクソオフィス辞めてやる!」っていつものセリフを吐きながら
俺は最後までいつものとおりのオフィスになんとなく微笑ましくなって家に帰って、
朝まで片づけをしたんだ。

こんなケニアだからこそここまで好きになれたんだと思うんだ。





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2007-11-18

撤収



あさってナクルを撤退するというのにまだ何も片づけをしていない。

残された時間は二日。でも、まだまだやることはある。

でも、ここ数日ほとんど寝てない。

だけど、寝てる暇なんてない。


燃やせるだけのゴミ(JICAの書類など)を燃やし、しこたま買い込んだケニアの
お土産を箱に詰める。

その間に最後のお別れをいろんな人に言いにいく。

デイダンの家に行ってプレゼントをあげた。

ノラと別れたデイダンは「俺の人生なのにどうして女にアジャストしなけりゃいけないんだ!」とわかるようなわからないようなことをひたすら言っていた。

デイダン。人生振られて何ぼだよ。





その後もあいさつ回り。でも、悲しいことにケニアでは明日帰るとはいえないんだ。

帰る直前が一番強盗に会いやすいから。。


だから、近所の人には何も言わない。

ホントにお世話になった人には来週帰るから。と言いに行った。

最後のStage view。

今日が会うのが最後なんだけど何も言えない。

淋しい思いを胸に隠しながらいつものように「また明日ね」と言って最後の別れを済ました。

その後もメチャ眠いけどできる限りの片づけをして死んだように眠った。。






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2007-11-17

Final Lake Nakuru National Park

最後にもう一度ゆっくりと!

ということで行ってきたナクルナショナルパーク。

動物はもう見飽きてるので景色のいい静かなところを中心に回った。

アウトオブアフリカと呼ばれるナクル湖を見下ろせる静かなところで
お弁当を食べた。

また来ることがあるのだろうか。

生活に溶け込んだこのフラミンゴに染まった湖をもう一度見ることができるのだろうか。



淋しいような、悲しいような。





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