2006-12-31

本当のケニアへ その1"途上国に住む事。田舎に住むということ"編



近所に住んでるJICA専門家は20年前にもケニアに協力隊として派遣されていた。
そこで年末年始はその専門家のかつての任地に行くことになった。

以前から彼からよくその任地のことは耳にしていた。

「とんでもない田舎なんだ」



そんな話を聞くたびに羨ましいと思っていた。

田舎の隊員は確かに生活が苦しい。
電気も水もない生活がいかに大変か。
それは住んでみないとわからない。

だからこそ住んでみたいのだ。
だからこそ俺は協力隊を受けたようなもんだから。


彼の運転する車でしばらく幹線道路を走り抜ける。
そして「あそこが任地だよ」と彼が言う先には山。山。山。

20年前は車が通れるような道ではなかったのだが今は乾期なら車は通れる。
ゆっくりゆっくり山道を車で抜けてその目的地 Walakwa Secondary School
にたどり着いた。

途中、途中住民が彼のことを見て「シャトー」(佐藤)と言って
興奮して走りよってくる。

彼も「お前は、ひょっとしてマイナか?」と名前を覚えているのだからすごい。

20年経っても覚えてくれる人がアフリカにいるということの凄さ。

俺はどうだろう。

今の職場の人はみんな地方から来た人だから地元に帰ってしまうだろう。
というより来月には転勤になってるかも知れない。

20年後どころか1年後に帰ってきたって知っている人はいないかも知れない。
そもそも俺のことを覚えてくれる人がいるのだろうか。。

何だか淋しくなった。

もちろん20年経っても覚えているというのは彼の人徳による部分が大きい。
でも、田舎というファクターも大きい。

なんせ村の歴史において外国人が踏み入れたのは彼と俺だけかも知れないのだから。

生活は苦しい。
生きていくだけで一日が終る。

そんななかで生きる事を経験するのが古き良き協力隊だ。

それは日本の若者にとってはいい経験だがケニアにとってはどうだろうか?

税金を使う限り両者にとって良い経験になるべきということで協力隊も田舎より
都市に多く派遣されるようになった。

そこには電気も水道もあるけれど、ケニア人が生きるだけでどれほど大変な
エネルギーを消費しているか知る由もない。

だから

「なんで時間通りに出勤しないんだ」、
「ケニア人はやる気無いな。」

と思ってしまう。

言うなれば野球の試合があったとして、俺達は睡眠バッチりで時間通りに車で到着。
ケニア人は朝まで徹夜で仕事していたうえに、何キロも走ってきたから遅刻した。

でも、俺達はそんな事全然知らないから遅れてきたケニア人に文句を言ってしまう。
そんな感じだ。

実際途上国では、特に田舎ではいろんな事が起こるんだ。
人はすぐ死ぬし、家畜の世話が最優先だし、水を得るのに必死だし、
火を起こす事だって本当に大変。

そういう事を俺はもっと知りたいから協力隊受けたんだけどな。。

今日は専門家の元生徒の家に泊めさせてもらった。
腹いっぱいのメシを食わせてもらって。。

大変だったでしょう。
こんなにたくさんのご飯を用意するの。

ほんとにありがとうございます。






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2006-12-26

崖。クラブ。今夜はクリスマス。

ナイバシャから戻りデイダンの実家へ。
そこはナクルからマタツ(バス)で30分ほどの村。



以前にHIV予防啓発の活動で行ったことのあった村だけど、
彼の実家はそこから更に車で20分ほど奥に行ったところにあった。

裕福な家らしく、広い庭に子どもたちとヤギ、牛、ニワトリが自由に走り回ってる。
そこでニャマチョマとシャンパンをご馳走になって昼寝していた。

まるで大草原の小さな家のような場所。
ほんとうに気持ちよく昼寝ができた。

デイダンが「コージ。崖行こうぜ。」と言うので行くことに。

彼の家の畑は「あの山からあの崖までだ」というその崖を見に行くのだ。
歩いて30分くらいでそこに着いた。

確かに崖だ。

でも、ただの崖じゃない。
めちゃくちゃ美しい。
天空の城から見下ろしているかのような景色がそこに広がっている。

普段女の事しか考えていないデイダンもその景色を久しぶりに眺めて
何かを感じていたようだった。

ナクルに戻っていつものクラブへ。
今夜もデイダンはいつものようにchick探しで忙しい。








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2006-12-25

クリスマス。やっぱキャンプでしょ。その2"天敵がいないとキリンも座る"編


キャンプ2か目。

キャンプ場の近くにあるHell's gate National Parkへ行ってみることに。




前からそのパークは気になっていた。
名前もさることながら、肉食動物がいないとされている(?)ので
ケニアで唯一自転車で入ることのできるパークなのだ。

キャンプ場で自転車を借りていざ"地獄の門"へ。


・・・すっげー。


アンボセリでケニアの美しさは知ってたつもりだけど、
またここの素晴らしさも格別だった。

普段、普通に見てるシマウマやキリンも自転車から見ると本当に生命を感じる。
ダイナミックで不自然とも思える地形のなかを走り抜ける野性動物。
そこを自転車で思いっきり走り抜けるヒト。

映画のセットようにも見える嘘のような本当の世界を駆け抜けた。


激痩せしたの今の俺には30Kmのサイクリングは相当コタエタ。
途中、よくわからない虫にさされて全身がカブレて大変だったけど
その信じられないくらい美しい景色と同志のバレーボーラーに励まされて
何とかキャンプ場に戻った。

そして、夜はディスコでクリスマスカウントダウン!
盛り上がってたけど、疲れちゃってすぐ寝ちゃった。

メリークリスマス!!




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2006-12-24

クリスマス。やっぱキャンプでしょ。その1"カバに気をつけろ"編

クリスマス。

どっか行ったことのないところに行こうと思った。



ボゴリアという湖でキャンプしよう!
と言い出したのはオーストラリア人のベン。

彼の計画はこうだ。

レイクボゴリアにはデヴィルズアイランドと呼ばれる住民も恐れて近付かない島がある。
そこでキャンプをしてカバと一緒に打ち上げ花火をあげて朝まで踊り明かそう!

最高じゃないか!ベン。
で、誰が行くんだい?

「俺とジミーと俺の彼女とジミーの彼女。・・・コージも行く?」

おいおい、俺はそんな野暮なことしませんよ。


ということで、クリスマスの計画を練り直した。
ナイロビからナクルに来る時にいつも目にしてはその美しさに感動している山と湖。
ロンゴノットとナイバシャ湖。
そこに行ってみよう。

って話をしてたら友達のデイダンが俺の友達も行くから一緒に行きなよ。ってことで
クリスマスは俺と協力隊の友達1名とケファという家族と一緒にナイバシャ湖でキャンプとなった。

マタツに揺られて1時間30分。
そこはビクトリア湖、ツルカナ湖に次ぐ大きさを持つナイバシャ湖。

淡水湖でフラミンゴはいないけれどカバはいる。
キャンプ場は湖のすぐそばでカバ注意という看板があちこちにある。

クリスマスということでテントがフジロックのように並んでいた。
ケニアではキャンプといってもアウトドアっていう感覚はない。
安く泊まれる手段といったところだ。

だから、そのキャンプ場の中にはバーもディスコもある。
明け方まで大音量で音楽が流れている。
眠れない俺達は明け方まで燃え盛る火を見ていた。。





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2006-12-23

先進国は進んでいるのか?

アメリカのCDCと呼ばれる国立の疾病機関が独自にデータを集めるという
理由で我がオフィスにインターネットがやってきた。




衛星でつながるインターネットで月額US$700。
今の世の中、途上国であろうとやっぱりインターネットは必要だ。

今まで職場にはアナログモデムによるダイアルアップ接続が一本あるだけだった。
電話代も馬鹿にならないし、いろんなオフィサーがうちのオフィスに来ては
ピーヒャラピーヒャラ言わせている状況を改善させたかった。

そこで、現在のインターネットサービスプロバイダーに支払っている金額と
最近出回り始めたADSLの費用対効果を計算しADSL導入計画を実行し始めていた
矢先のことだった。

そんなとき突然彼らはやってきた。

「こんちわー。CDCでーす。インターネット持ってきましたー」
と言っていきなりアンテナを組み立て始めた。

「この1年インターネット繋ぎ放題ですよ!」

なんて言ってるけど来年は自分で払ってくれとのこと。

こっちは100ドル程度で予算組もうと必死になってんだ!
そんな金あるわけない。

「ついでにWindows2003サーバーとプリンター2台も置いてきますよ」

おい!うちはすでにWindows2000サーバ持ってんだよ!

しかも、プリンターはネットワーク共有するためにネットワーク対応プリンター
購入の提案書を書いたところなんだ。

そんなところでネットワーク非対応のプリンター2台も置いてかれたら俺の提案書の
ポイントがずれちまうだろ!

(ちなみにスペースとセキュリティの問題で2003サーバをプリントサーバ
にするってのもあんまりやりたくない)

保健の世界だけではないにしろ、世界の援助合戦は目に余る物がある。
今回、ワイナイナと一緒に予算内で収まるような提案書をせっせと書いていたところに
突然のドネーション。

今までの計画、全く無意味。

こうやって

"計画立てても無意味だ。そのうち誰かが何かくれるでしょ"

っていう援助漬けの構図が成り立っていくんだ。

援助漬けにしているのは俺達先進国。
援助漬けの体質に文句言ってるのも俺達先進国。
勝手なことばかりやってるよね。

へい。先進国さんよ。
サーバのパスワード設定したんならパスワードを教えていけよ。
何を設定したのかも教えていけよ。
インストールCDくらい置いてけよ。

どうすりゃいいんだこのサーバ。。。

もっとスマートなやりかたあるでしょ?

"先進国"って言うくらいならさ。







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2006-12-21

人間の防衛機能

人間には何重もの防衛機能が働いていると思う。

例えば、人は悲しいことがあると涙を流す。
涙はその悲しさまで流してくれる。



例えば、人は悲しいことがあると誰かのせいにする。
"俺のせいじゃないんだ"と言うことでその悲しみが偽物になってくれる。

例えば、人は悲しいことがあると自分を悲劇の主人公に仕立てあげる。
他人からの同情はその悲しみを優越感に変えてくれる。

例えば、人は悲しいことがあると全てをリセットしようとする。
新しい環境はその悲しみを遠い過去にしてくれる。

時に泣き崩れ、当たり散らして、笑い飛ばしてその悲しみを過去にする。
そうやって人は自分が崩壊することを防ぐのだ。

でも、そういう防衛本能の機能を一つ一つ解除していくとどうなるんだろう。
本当に自我が崩壊して精神的に破壊されてしまうのだろうか。

その先に本当の強さがあるんじゃないか?
そんな風に思うことがある。

ちょっと冒険してみようかな?・・・なんてね。



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2006-12-20

空巣の後遺症その2

防犯グリルも取り付けてようやく悪夢を見ないようになった。
だけど、空巣の本当の嫌なところが見えてきたんだ。



今回の犯行は明らかに学校内に住む者の仕業だとみんなが言う。
確かに犯行時刻や状況から考えるとその可能性は高い。

そして、みんな俺の事件を知っていてこう言ってくる。

「お前の知合いの犯行だ」
「お前の知合いを疑え」
「お前の知合いを信じるな」

いかにケニア人が人を信じていないのかを思い知る。
治安が悪いと言うことはこうやって人の心を腐らせて新たな犯罪を生むんだ。
治安が悪いと言うことの本当の意味はそこに住んだ人でないとわからない。

俺も疑いたくないけどやっぱり近所の人と挨拶してもどこかで
「こいつか?」と思ってしまう自分が悲しい。

そして、最近知った本当に悲しい噂。

あの時俺の世話をしてくれたあのモーゼスがみんなから疑われている。

「あの時お前はモーゼスと一緒に飲んでたろ?あいつを信じるな。」

「彼はいい奴だよ。俺を警察にまでつれてってくれたし。」

「いいか。お前があの時バーにいたって知ってるのは誰だ?あの時お前の家が留守だと知ってるのは誰だ?」

「だけど、モーゼスは俺と一緒にいたんだよ。どうやって?」

「電話して知りあいにお前の家を襲わせたんだよ。最近あいつテレビ買ったらしいぜ。その金どこから手に入れたと思う?」

憤慨した。
モーゼスに会いに行った。

「大丈夫だよ。言わせておけ。」と言った彼の目には確かに悲しみがあった。

盗まれたコンピュータなんてどうでもいい。
俺が悪夢を見ることだってどうでもいい。
人を疑いながら生きていかなければならない世の中がこんなに悲しいこととは知らなかった。



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2006-12-19

危ないところだった その2

ケニアでの夜遊びはリスクが高い。
ナイロビはもちろん俺の住む街ナクルはナイロビに次ぐ治安の悪さ。
だから、夜の移動はたとえ100mの距離でもタクシーになる。



タクシー運転手だって夜中は運転したがらない。
仲のいいタクシードライバーもここ数ヶ月で立て続けにカージャックに遭った。

当然タクシー料金も高くなるし、信頼できないタクシーは余計に危険だったりもする。
(どこに連れてかれるかわからないから。)

だから、信頼できるタクシーを使用するしかない。
その彼が仕事をしているかどうかも事前に確認する必要もある。

そんな状況だから夜タウンで飲むときは帰りの余力を意識しなければならない。
当然、テンションは最高潮にはあがらない。

”楽しくなってきた。ちょっと酔っ払ったかな?”
ってあたりで帰らないといけないから。。


でも、こないだは違った。
なんかどうでもよくなってた。

「おい!デイダン。テキーラ飲もーぜ。」

で始まったケニア人とのテキーラ大会。
当然、テキーラは裏切らない。

どんどん高まる俺のテンションは抑え切れなかった。

繰り返される”アミーゴ!”の掛け声。


気がつくともう朝で俺は自分がどこにいるかもわからなかった。
一瞬、天国かと思った。

でも、そこは自分の家だった。

デイダンに電話してみたら気がついたら俺はいなくなってたらしい。

どうやって帰ったんだろ?

危ないところだった。。




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2006-12-18

危ないところだった

昨夜は空巣の後遺症でほとんど眠れなかった。
本当にリアルで恐い夢を見た。
忘れられそうだったとっても嫌なことをまた思い出してしまった。



ここんところビールしか体に入れていないこともあり気分も体調も最悪だ。
でも、警察に盗難証明書を書いてもらわなければならない。

警察に行く前にメールをチェックした。
そしたらすっごい嫌な知らせが来てた。

もう、頭の中真っ白になった。
警察でのやりとりはほとんど覚えていない。

警察から帰る途中に車が俺の方に突っ込んできた。
ケニアではよくあるんだけどそれは「ドケ!」の意味。
中には本気で引いてやろうという勢いで突っ込んでくる車もある。

いつもは細心の注意で道を横断するからそんな車もひょいっとかわすんだけど
その時はダメだった。
というより頭がどうかしてた。

"あー、車が突っ込んでくる。"

"よけないとね。"

"・・・めんどくせーな"

"このスピードなら死なないだろ"

"死なないくらいに引かれたい気分さ。ベイベー"


ということで俺はその車に向かっていった。
数センチのところでその車は止まって、何事もなかったように走り去った。
俺も、何事もなかったかのよう職場に戻った。

本当に危ないところだった。





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2006-12-16

空巣の後遺症

空巣に入られた。
ガラスはまだ割れたまま。

警察は来たけれど、なんの調査もせずにただこう言って帰っていった。



「アスカリ(警備員)を増やした方がいいな」
「この学校にはアスカリ2人もいるけど?」
「2人じゃ足りない」
「じゃあ何人?」
「そーだな。30人かな?」
「・・・」


JICAのセキュリティ担当もナイロビからやってきてくれた。
そしてこう言って帰っていった。

「すぐに防犯グリルをつけろ」
「はい。」
「それから、窓際に物を置くな。例えばこのギターも窓際に置いたら狙われるぞ。」
「はい。」
「で、お前はいつ日本に帰るんだ?」
「来年です。」
「そうか、じゃあその時このギター俺にくれ。」
「・・・」


盗られたのはパソコンだけ。盗難保険にも入ってるし、バックアップもある。
窓際に置いておいた俺も悪い。

ただの空巣ならケニアだけじゃなくて世界中で起こりうる犯罪だ。
気にする必要はない。
そう思ってた。

だけど、眠れないんだ。
ちょっとした物音で目を覚ます。
強盗に襲われてナタで頭を割られる夢を見る。

本当に恐いんだ。





アスカリのオティエノ君。
陽気で頼りない奴。
でも、とってもいい奴。



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2006-12-15

空き巣で見えたケニアという国

こないだ書いたとおり、晩飯食べずにバーで飲んでる生活をしばらくしていた。

"ケニアでは毎日同じ行動をしてはいけない"

それは生活パターンを知られると、犯罪に遭う確立が高くなるから。




今日もいつもの通りバーで飲んでいた。
今日の相手はモーゼス。

彼はまだ若いけどストリートチルドレンのための保護施設の
運営をしていて新しい施設が明日オープンするという。
その式典には俺も呼ばれていて彼とストリートチルドレンのため
にできることを語り合っていた。

「コージは毎日みんなに無視されながら生きている彼らのために何ができる?」

「・・・わかんない。だけど、俺にできることなんてあるのかな?」

「コージがやりたいと思ったことがコージの使命だよ」


彼は熱心なクリスチャンで、神の話をよくする。
こういう人はたくさんいるんだけど彼の場合は少し度を越えている
というか何というか、とにかくケニア人からもちょっとうっとおしがられている。

だから、俺が彼と一緒に飲んでいると
「あいつ、お前に迷惑かけてないか?」なんて言われたりもする。

確かに彼が言っていることは少しうっとおしい。
だけど、今の俺には彼の言葉がすごく試されているように思えるんだ。


"本当にお前には人を愛し抜く勇気があるのか?"


とにかく、俺は彼のことを信じてみようと思ってるし彼の施設の子どものために
できることをしてみようと思ってる。

そんなこんなで今夜も気持ちよく酔っ払って家に戻った。


”???”


何か違う。

あるべきものがない。何がない?

パソコンがない。。

無いはず無い。
ドアには鍵がかかってたし、確実にここに置いたんだから。。。

”???”

なんだ、このガラスの破片は?

やられた。。。


モーゼスに電話した。

「やられちゃった。。」

「どうした?」

「空巣に入られてパソコン盗まれちゃったよ。」

「今すぐいくから、待ってろ」


結局モーゼスは明日式典で忙しいのにも関わらず警察にまでつき合ってくれて
最後にまたバーで一杯つき合ってくれた。

そこにいたケニア人が俺の話を聞いて同情してくれたのか、俺を慰めようとしたのか
”私の犯罪被害自慢大会”が始まった。

「俺は携帯電話7個めだぜ!」

「俺なんて強盗にあって全て盗られたんだ。トイレットペーパーまでもってかれたんだぜ!」

「俺は、車を盗まれた。俺の職業しってるか?タクシー運転手だよ。しかも3回盗まれたんだぜ。」

そんな話が延々と続く。
なんて国なんだ。

そんなことよりモーゼス。明日早いのにつき合ってくれてありがとう。
俺にできることを考えてみるよ。



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2006-12-10

ゲキヤセしちゃった



広域研修が終った辺りから俺の中で何かが抜け落ちてしまった。
活動は順調に進み始めているけど(ワイナイナが休暇を取ってしまったけど)、
生活はひどいもんだ。



引越して以降、自炊をしたことがない。
前にも言ったかも知れないけど基本的にケニアには外食文化はない。
じゃあ、食事どうしてるの?ってことになるけど
その答えは・・・

「食べない」

正確に言うと「飲んでる」だ。
家のすぐ近くにローカルのバーがある。

そこで数本のTusker(ケニアのビール)を飲んで夕食としている。
ちなみにケニアのバーに"つまみ"は無い。

あるのはニャマチョマと呼ばれる肉の塊をただ焼いただけのもの。
毎日そんなもの食ってたら痛風になること間違い無し。

平日は昼飯を職場の近くで食べてるからまだいい。
でも、週末はきつい。
一日ビールだけになるから。。

何かを食べにいくとか、何かを作ろうとかいう意識は全くない。

食べるものがない。だから食べない

といういたってシンプルな図式。

家に体重計がないから気づいてなかったんだけどナイロビで計ってびっくり。

すっげー痩せてた。
ここで書くとみんな引くくらいの体重しかなくなってた。

さすがに食わねばならぬと思いました。

それでも風邪一つ引かないこの俺。
そんな丈夫な体を与えてくれた親に感謝です。






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2006-12-07

隊員総会の意義

各国の協力隊員の間で年に1度、あるいは年に2度隊員総会なるものが
開催されていることと思う。

まじめに総会を開いている国もあれば運動会をするような国もあるという。
そして、ここケニアはどうかというと“実施していない”



前回の大統領選挙の際に隊員の派遣を一時中断したため、
隊員総会の実施も取り止めていた。
それが数年続いた後に昨年、数年ぶりに隊員総会が実施された。

数年ぶりに開催されたとはいえ、当時の隊員にとってはそれが初めての総会になる。
そんな総会は我々に素朴な疑問をもたらした。

「何のために総会をするんだろう」

交通手段の乏しい途上国では首都に移動するだけで数日かかる隊員も多い。
総会を準備する隊員の負担も相当なものだ。
また、治安状況やドミトリのキャパシティの関係から隊員全員ホテル宿泊となる。

これほどまでに金を使い、隊員の活動を犠牲にしてまで総会をする意味があるのか?
という疑問が全員のなかに浮かんだ。

そこで、みなで話し合った結果「隊員総会は実施しない」ことになった。

個人的には難しい判断だった。
確かに隊員総会をやる意味がそれほどあるとは思わない。
税金の無駄使いはいけない。
でも、こういう機会がなければ一度も顔を会わせないような隊員もたくさんいるだろう。
やりかたによってはそれほど負担にならない、金も使わない隊員総会もできるだろう。

問題は隊員のなかに意志決定の組織がないことだと思った。

このままでは、JICAの思いのままにルールが策定されてしまうかも知れない。
本当に有益なアイデアがあってもそれを形にする装置が隊員のなかにないのはもったいない。

そう考えた俺は隊員組織化計画をこっそりと立てた。
隊長および執行部をつくり、連絡網を整備する。

そしてその隊長はもちろん「俺」ね。

でもそこでふと考えた。
隊員は2年で帰る。
隊員の使命は任地で地元の人と共に活動することだ。

"・・・やめておこう"

今ではそれで良かったと思ってる。
俺がケニアに来たばかりの頃、以前いた調整員(ボランティア要請を開拓する人)
がめちゃくちゃだったらしく仕事のない隊員が多くいた。

そんな彼らが活動の場を見出したのはその隊員総会であったり分科会であったり
インカムジェネレーションを目的としたマーケットであったり、
日本人祭りであったりした。

そうした活動を否定するつもりはない。実際、素晴らしい内容であったと思う。
こうした活動は華やかでもありJICAの広報誌にも取り上げられたりもした。
だけど、任地で地道に目立たずに活動している隊員の方が注目されるべきだと思った。

少なくとも赴任して1年はこうした活動は行なわずに任地で踏ん張り続けるべきだと思う。

それなりにやりがいもあり、華やかでもあるこうした活動は任地での活動のチャンスを見失うことになりうる。

そういう意味で、ケニア隊が隊員総会の実施を否決したこと。
分科会活動が下火になったことは喜ばしいことといえるかも知れない。
それだけみなが任地で活動する場所を見出せているということだから。


でも、誰かが言ってた。
隊員総会やらないことになって予算が余ったからこないだの40周年式典やったらしいよ。。

税金の無駄使いをなくすことは難しいです。



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2006-12-06

援助されることは喜ばしいことか

ケニアで協力隊が始まって今年で40年だそうだ。
そこで40周年記念式典なるものが日本大使館で開催された。



ケニアの日本大使館は最近新しく建てられたとても立派な建物。
そこに全隊員を招集し、ケニア大統領および財務大臣なども招待して盛大に
40周年を祝おうという企画。

はたして、40年間も援助されなければならない状況は祝うべきことなのか?

そんな思いはみなのなかにあったと思う。
“この式典になんの意味があるのか?”

そんな思いはケニア側にもあったのだろう。
大統領および財務大臣のドタキャン。
式はあっけなく、そして虚しく終った。

大使館から出された盛大な昼食がさほどおいしく感じなかったのは俺だけだろうか。。


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2006-12-03

オーノー ワイナイナ!

ケニアの公務員は1年で1カ月から2カ月の長期休暇を取ることができる。
たいていの人はクリスマスから年末年始にかけてその休暇を使うらしい。

ということでワイナイナに聞いてみた。


「年末年始は休むの?」
「おいおい コージ。あのWBSの計画表見てないのかい?
俺達はカレンダー通り働いてこのLANを完成させるんじゃないか。」

お前がその気なら俺もとことんやってやろうじゃないか。

ってのがついこないだの会話。
で、今日。

「コージ。そういえば俺、去年もおととしも休暇取ってないから疲れちゃったよ。
だから、明日から1カ月休むね。」

去年とおととしの疲れが突然今日になって出たというのかい?
前もって言ってくれれば俺だって遊ぶ予定立てたのに。。

しかも、気がつくとやっぱりワイナイナだけでなくみーんな休みを取るらしい。

俺も遊ぼう。。。

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2006-12-01

1周年旅行 その3"ナイロビ満喫"編

アンボセリからナイロビへ。
今日は女性陣の買いものにつき合うことに。
「ケニアでいいもんなんかねーよ!」なんて言ってた俺だけど、探せばあるもんだ。






サイザルという麻で編まれたカバン の卸問屋でしこたま買い込んだ。
なかなかいいでしょ?


ほんとはその後にダチョウファームに行ってダチョウレースする予定だったんだけど
サイザルのお店で時間を使い過ぎたため予定変更で噂のパナリホテルへ向かった。

そこはインド資本のホテルですごいものがあるらしい。




そうです。アイススケート!!
赤道直下でアイススケートできるなんて世界中でここくらいでしょ?

遊びまくったこの3日。
明日からまた1年がんばろー!って思いました。




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2006-11-30

1周年旅行 その2"夢の国ケニア"編

朝方まで飲んでたので二日酔いというより、まだ泥酔と言う状況で早朝サファリへ。
正直、動物どころではなかったんだけど俺は運が悪かったのか良かったのか朝から
ライオンの狩りに出くわした。


ライオンがヌーを食べてる。
そして、ハイエナがそのおこぼれを狙ってる。
まるで、わくわく動物ランドの世界。





相変わらず天気は悪くてキリマンジャロは見えないのだけれど、
象やライオンを間近に見ることができた。

ちなみにアンボセリのライオンはマサイマラと比べるとタテガミが短くて
高倉健みたいな感じだった。


二日目はロッジにご宿泊。
午後もゲームサファリの予定だったけど、みんな疲れてたのでマサイと
ウォーキングサファリするチームと周辺ドライブの組に分かれた。

俺は周辺をドライブ組。

マサイの村を抜けてしばらく走るうちにだんだんと雲が晴れてきて、
とうとう顔を出したアイツ。


マサイとアフリカゾウとキリマンジャロに3ショットなんて本当に世界で
ここしか見れない景色だと思う。




本当に夢の国みたいに美しい国。ケニア。

あと1年ケニアを思いっきり楽しんでやろうと誓わずにはいられない景色だった。



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2006-11-29

1周年旅行その1 "最高の夜"編




今日でケニアに来てちょうど1年がたった。
ということで俺は同期のメンバーと1年を祝って旅行に出た。



目的地はヘミングウェイとキリマンジャロで有名なアンボセリナショナルパーク。
車に揺られること数時間。マサイの村を抜けてそのパークに入った。
あいにくの曇り空でキリマンジャロは見えない。

だけど、何だこの壮大な景色は。。

ナショナルパークは動物を見るところだと思ってる人も多いけど
ケニアに住んでるとやっぱり動物も飽きてくる。
だから、動物だけを追いかけて写真撮って、動物いない間は寝てるっていう
最低なパーク巡りツアーに陥る人も少なくない。

確かに動物もすばらしいけど、この壮大な景色を前にすれば動物も人間もちっぽけなもんだ。


夜はキャンプ。

といってもポーターが食事もテントも用意してくれるんだけどね。
ナショナルパークの中で焚き火を囲んで朝方まで同期の隊員と語り合った。

途中ハイエナがすぐ近くでうなり声をあげていた。
ナイロビのスーパーで買ったカニを味噌汁にして食べた。
マシュマロを焼いて食べた。
テキーラを吐くまで飲んだ。

ケニアに来て1年。
ハイエナの鳴き声のなかでカニ汁飲んでテキーラで吐いて朝まで語り合った
この夜は一生忘れられない夜になることだろう。





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2006-11-24

WBS

World Business SatelliteではなくてWork Breakdown structureの略。
プロジェクトマネージメントの技術で使われる用語。



要するに、プロジェクトを完遂させるために必要となる仕事を細かく分解して
誰が、いつ、どれだけの予算でやるかという計画を立てていくことである。

コンピュータの広域研修でWBSを知った私の同僚ワイナイナは得意気に
「コージ、早くWBS完成させようぜ!」と言ってくる。

"言っとくけど俺はWBSにはこだわるぜ"

ってことでワイナイナとみっちり3日かけてWBSを作り上げた。
ワイナイナも半ベソ状況になりながらも、よくついてこれたと思う。
俺も日本でよく泣かされそうになったり泣かせそうになったりしながらやったもんだ。

でも、WBSに日付は入れなかった。アフリカでは無理だと思ったから。

日付を入れないWBSに意味があるのか?とおっしゃる方々もいることでしょう。

私としてはまず計画表を立てて、それを意識しながら仕事をすることだけで十分だと思うんです。

だって、本当に計画なんてないんだから。
というより、計画立てたってそれ通りに進むわけないんだから。

一言で"LANを構築しましょう"と言うけれど実際にはこれだけやらなければならない
ことがあると言うことを知ってもらいたかっただけかもしれない。

でも、最大の成果はワイナイナがそのWBSを見てやる気満々になったことだ。
IN CHARGEのところにワイナイナの名前を入れるたびに
"任せとけ"と言うワイナイナ。

広域研修やってよかったな。



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2006-11-19

メシよりミュージックな街キタレ

エルゴン山を見にやってきたこのキタレという街で一泊することにした。

旧式のマタツ(乗り合いバス)で知り合ったやさしいお姉さんに宿を
教えてもらって空腹の腹を埋めようと街を散策する。


ナイロビ並みにでかいスーパーマーケットもありこれは食事も期待できるかな?
と思って街を歩くのだが、なぜか食事できるところがない。

しかたなく、PUBでニャマチョマ(ケニア式焼肉)を食べようということになり
PUBに入る。

「ハクナ ニャマチョマ」(ニャマチョマ売り切れ)

と言われ途方にくれた俺たちは仕方なくウガリと肉の切れ端を炒めたものを
5人で食べた。

もちろん空腹は満たされるはずもない。

みんな疲れが出始め、ホテルに帰って寝ると言う始末。

俺は決して眠れない。

なぜなら、このバー 生バンド演奏なんです。

ケニアの伝統楽器ニャチチとバンド構成でいわゆるリンガラと伝統音楽が
フュージョンされてかつエフェクターを使いまくったアンビエントな音楽が
バリバリに流れてる。

まだ時間は7時前だと言うのにみんなアホみたいに踊り狂ってる。

なんだ、なんだ、この街は。。

見渡すともう一つ生バンドのバーがあることに気づく。

食事する場所は一軒もないのに生バンドのバーが2軒もあるなんて。
なんだ、なんなんだ、この街は。。

ということでもう1軒をのぞいてみる事に。

"?"

おかしいだろ。とまず思う。

みな、バンドに背を向けて座っているんだ。
よく見ると、みなテレビのプレミアリーグ(イングランドのサッカー)に夢中でバンドの演奏は誰も聞いていない。

バンドの方を見てるのは俺たちだけ。。
音楽は悪くないのに。。

何だか気分が悪くなり、さっきの店に戻る。

酔っ払いに絡まれたり、10分おきに停電が起きて音楽が止まる。
それでも、ケニアで久しぶりに音楽と一緒になれた夜だった。

雨はいっこうに止まず、この2日間で一度もエルゴン山を見ることができなかった。
だけど、不思議な街キタレとEndevessは最高だった。



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2006-11-18

東アフリカ最大の観光名所"Endevess"

エルゴン山って知ってるだろうか。
ケニアで2番目に高い山。標高4321m。
象が塩を求めて洞窟に集まってくる山。
スワヒリ語で「胸の山」と呼ばれる山。



ふと、見てみたいと思った。

「明日、エルゴン山行かない?」
と声をかけたのは一人だけなんだけどなぜか5人集まってた。

みんなエルゴン山がどこにあるか知らない。
とりあえずキタレという街から見れるらしいので行って見る。
予想よりも大きなキタレという街でその街の存在を入手した。

Endevess

後に伝説となるこの町は俺らの中では東アフリカ最大の観光名所となっている。

なぜ?なぜ?なぜ?
の連続の街Endevess
もう一度行こうと思う。




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2006-11-03

異国の地に住むということ

意地悪なケニア人に家を追い出されて引越しをするはめになった。
ケニア人は良い人が多いけどもちろん嫌な人だっている。(当たり前だね)



その人はケニア人にしては本当に珍しいくらいに嫌な人でいろいろと意地悪をされた。
最初から出ていってくれと言えばまだこっちも気持ちがいい。
だけど、嘘に嘘を重ねられ、金も取られ、挙げ句の果てに家を追い出された。

ちょうど配属変更で駆け回ってるときで精神的にもコタエタ。
そして、広域研修で最高に忙しい時に引越しをするはめに。
(研修の前の日に荷物を引き払い、研修終了直後に引越し。。)


新しい家も同じ学校の敷地内にあって間取りも同じ。
(言い忘れてたけど俺は学校職員じゃないけど、とある学校の職員住宅の
使用人小屋に間借りしている)

だから、引越しっといっても特にインパクトがあるわけじゃないんだけど
途上国で家を探すということの大変さを思い知った。

「あそこ住んでいいから、ここ出てって」(そこに住んでいいっていうのは嘘)

「ここ住んでいいよ」(住めるように修理するのに半年はかかる)

「こんだけ払ってくれないとダメ」(法外な価格)

「詳しくは明日話そう」(もちろんドタキャン)

引越しを決めるのにどれほどの時間と労力を使ったことだろう。


協力隊の中では家をJICAが決めてくれる国もあるらしいがケニアは配属先が探すことになってる。
でも、配属先もいい加減なもんだからたいていは隊員が探すことに。
(JICAもいい加減だしね。。)

田舎だと外人が住むような家がほとんど無いから必然的に絞られて意外と楽。
都市の場合は本当に難しい。
不動産屋なんてないから自分で探さないとならない。
ケニア人にも金持ちはたくさんいるから良い物件はクチコミですぐに埋まってしまう。
だから良い物件は自分で探して決めないといけない。

なかには30万人ほどの都市の空き家を全て見て歩いた隊員がいる。
その間、ホテルぐらし。もちろん仕事もするから仕事の合間を縫って家探し。
一日30Kmは歩いていたらしい。

加えてケニアの場合治安の確保と予算の折り合いをつける必要もある。
(治安が守られている家は当然家賃も高い)
俺も大変だったけど、比較的安全な場所を確保できたからラッキーだったかな。

こんな経験はしなくていいのかも知れないけど、それで地元と
ネットワークができたり友達が増えたりする。
異国の地に住むということにおいて地元とのネットワークは本当に重要。
生死の問題にすらなりうる。

コミュニケーションのとりにくい都市部に住んでいることもあって今回の件で得たものは小さくない。


振り返ると、この時期はホントにしんどい時期で精神的にも肉体的にもきつくて
周りを見渡せる余裕が無かった。人を気遣う余裕が無かった。

取り返しのつかないことをしてしまったのもこの時期だった。
それで大切なものを失ってしまったのだけれど、俺はそれで強くなれた気がする。かな?










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2006-11-02

忘れられない一日






今日は俺の28回目の誕生日だった。

広域研修も終わり、ケニアに来てもう少しで1年。
ようやく活動も先が見えてきて、まさにこれから!
って感じで迎えたバースデー。

広域研修に参加していたガーナから来た同期の隊員をナイロビの
ナショナルパークへ連れて行きました。

シマウマとキリンが見たいという彼女だったけどパークの中では爆睡してた。

いろんなことがあった27歳だったなぁ。
最後の最後でとってもとっても嫌なことがあったけど、
シマウマやキリンに祝福される誕生日ってのも悪くないよね。

とにかく、今年の誕生日は一生忘れられない日になりそうです。




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2006-11-01

広域研修レポートその4 "打ち上げ"編

広域研修の全てのセッションが終了。
JICA所長から修了証明書をもらったカウンターパートたちも大喜び。

その日のうちに帰らなければならないタンザニアの方々には申し訳ないが
残った人達で打ち上げ。




ナイロビの日本料理屋で寿司、鉄板料理と豪勢にいただく。
そのあとはナイロビのクラブに出かけたり、ホテルのバーで語り合ったりと
それぞれの時間を過ごした。

久しぶりにあった同期の隊員や新たに出会う隊員。
同じような悩みや苦しみをもつ隊員との出会いは貴重なもの。

ほとんど毎日徹夜状態だったけどそういう交流だけは大切にしていた。
コンピュータ業界の人って多忙だし、コミュニケートが希薄になりがちな仕事
だからこそ、そうした時間を惜しまない人が多い。
どれだけ忙しくても必ず飲み会には参加する人が多いってのは嬉しいことだ。

でも、残念なのはカウンターパートたちとはなかなか一緒の時間を過ごせなかったこと。
それはやっぱり金銭感覚の違いの問題もある。
開催者側としてやはり親睦会のような場をセッティングすべきだったと思った。

でも、アフリカ中に知合いができたことは俺達にとっても彼らにとっても嬉しいこと
であって、それが広域研修の最大の目的であるのかも知れない。

とにかく、すっごく疲れたけれどやってよかった。
参加するだけじゃなくて、開催する側になれてラッキーだったなって思ってる。


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2006-10-31

広域研修レポートその3 "closing the gap"編

広域研修で自分が実施したパートの一つに「ギャップを埋める」というセッションがあった。




隊員とカウンターパートが別々のグループに別れて互いに感じる
“問題点”と“期待すること”を討論してもらう。
その後に、隊員とカウンターパート混成のグループに別れてロールプレイをしてもらう。
例えばザンビアの人に協力隊の役を演じてもらう。
"言葉も通じない。家族にも会えない。仕事を丸投げ去れる。"

例えば日本人に校長先生の役を演じてもらう
"英語を話せない隊員に授業を任せられるか?
頻繁に首都に行く隊員とどうコミュニケートするか?
本当にお金がない場合どうすべきか?"

そういう相手の困難な状況をリアルに感じてもらうことが狙いだ。
最後にお互いに感じているギャップを討論してもらった。

一番に感じたのはやはり“コミュニケーション”。
言葉の壁は深刻だ。
そして、言葉以外のコミュニケーションにも相当にギャップがあることもわかった。

アフリカ流のコミュニケーションについていこうとする姿勢がやはり我々には足りない。

日本人の感覚から言うと彼らはまともなミーティングもせずに情報共有しないから
物事が進まないんだと思うけれど、
彼らは彼らのやりかたで俺らが思っている以上に情報共有している。

だからこそ日本人の情報などは村中が知っていたりする。
そのネットワークに我々が入り込んで仕事の情報も共有してもらうことが必要なのだ。

もちろん彼らから我々の側に歩み寄る姿勢も必要だ。
その当たりの討論にまで踏み込める時間がなかったのは少々残念。
でも、個人的にはやって良かったセッションだった。















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2006-10-30

広域研修レポートその2 "個は全体を代表する"編

広域研修。予想通り何人かのカウンターパートが不満を吐き始めた。
そして、予想通り夜遊びに行く人が現れた。そして朝方帰ってくる。
遅刻する人もいれば、研修を休む人もでてきた。



俺らはそうとも知らずに本当に体調を崩していると思い病院の手配などで
駆け回っていたのだが、夕方になると元気そうに現れてまた夜の街に消えて
いったのを見て「勝手にしやがれ」と思った。

もちろん、まじめに研修に参加している人もたくさんいる。
ワイナイナもその一人。
そんなカウンターパートを連れてきた隊員はやはりご機嫌でどんどん関係も良くなっていく。

だけど、遊びまくって研修をさぼるようなカウンターパートを連れてきた隊員はどうだろう。

遅刻をして注意をすると
「アフリカでは名指しで注意するのは失礼だ!責任者呼べ!」と逆ギレする人もいる。

そんな彼らのために2年という時間を費やす隊員の気持ちを考えると悲しくなる。

広域研修の最大の効果はカウンターパートとの関係が深まることだと思う。
それはプラスとマイナスの効果がある。

“こいつと頑張ろう”と思える場合と
“こいつとは働きたくない”と思える場合。

いずれにしても任国で仕事をしているだけでは感じられない感情が湧いてくる。
それとどうつき合うかは彼ら次第だけど。

そして、もう一つ感じたこと。
どれだけ規模が小さかろうと、こうした国際会議では自分がその国を代表しているということ。

例えばタンザニアの人が研修をさぼったとする。
すると、そこの参加者は「タンザニア人はすぐさぼる民族性だ」と思ってしまう。

これはおそろしい。
何も会議に限ったことではない。
例えば俺がケニアでケニア人にだまされて、コンピューターを盗まれてその犯人を
殴りつけたとする。

それを見ていた人にはそんな事情は関係ない。
“日本人はケニア人を殴る民族だ”と思うのだ。

そんな恐ろしさを肌で感じることのできた広域研修でした。








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2006-10-29

広域研修レポート その1"オーガナイザー"編





JICAの広域研修という制度を使ってケニアでコンピュータの研修を実施した。
参加者はマラウィ、ザンビア、ジンバブウェ、タンザニア、ケニア、ガーナ、
ボツワナから協力隊とそのカウンターパート。
10日間みっちりとコンピューターネットワークとプロジェクトマネージメントを中心に
研修を進めていった。

研修内容はワイナイナ(俺の新しい同僚)にはレベルが高過ぎるなと思ったんだけど
せっかくだから連れていくことになった。

JICA本部の手続きのミスにより承認が出たのが研修実施の1カ月ほど前。
その時の俺は配属変更やらでそれどころではなくて全く関与していなかった。
研修の数日前にナイロビに行き主催者達と合流した。

広域研修は隊員が主催して行うので会場の設定から備品の準備、研修内容の精査、
準備そして講師まで隊員で行うのである。
途上国でそれをやるのは口で言うほど簡単なことではない。

彼らは「準備終んないよー」って言ってる割には俺に仕事を振るそぶりもないので俺は
“大丈夫なんだろ”と勝手に思って自分のパートだけの準備に徹していた。

だけど、当日フタを開けてみて驚いた。
何も準備されていないじゃないか。。。
グダグダに進んでいく研修。でも、研修は朝8時から夜9時まで続く。

夜まで研修をやるのはケニアの治安の悪さのせいだという。
夜に自由時間を与えるとみな遊びにでかけてしまい犯罪に巻き込まれる可能性が高くなる。
だから夜までみっちり研修をしろと言うJICAの方針だ。

俺はこれに怒りを感じた。

「9時だろうが12時だろうが遊びたいやつは何時でも遊びに行く。
隊員やカウンターパートを子ども扱いしているJICAの態度が気にいらない。
治安が悪いのは事実だとしてもケニアの良さを全くアピールできないのであれば
ケニアで広域研修をやる意味など全くないじゃないか。」

だけど、準備段階に参与していない自分が口を出すべきでないと思い、胸にしまっておいた。

でも、この研修の内容で夜9時までというのはあまりにもひどい。
俺が文句をいわなくてもいずれ参加者の不満が爆発することだろうと思った。
それにケニアの評判、日本人の評判が下がることも耐えられなかった。


そこで、緊急ミーティング。
「準備期間がないのはもう仕方がない。問題はやるかやらないかだ。
やらないんだったら、もう研修は夕方で切り上げよう。休日も設定しよう。
やるなら、徹夜してでもちゃんとやろうじゃないか。」

ということで、ほぼ毎日徹夜となったわけです。

みんなほんと良く頑張った。
日本人だけならとにかく頑張れば形につながる。だから、頑張れる。
でも、今回はアフリカ人もうまく巻き込めたと思う。
久しぶりに日本で仕事をしていた時のような感覚を味わった。

"正論が通じる世界"

「これがこうだから、あんたは間違ってる。だからこうしなさい」
と正面向かって言える。

そしてそのことで人間関係に亀裂が入ることのない世界。
それを気持ちいいとも感じたし、楽だなとも感じた。

正論が通じる世界は楽だ。
全てが同じ土俵に立っている世界。
公平なルールとスタート位置の同じ平等なポジションがあってこそ正論が通じる。

そういう世界のなかで俺は強さを発揮する。
ビジネスマンに向いているのかなって思った。
でも、世界のほとんどがそんな世界ではないということにもケニアでの生活で気づいた。
自分が強いのは狭い狭い井戸の中でだけだってことに気づいた今だからこそ、
その強さに虚しさも感じた。

「もう少し、正論の通じない世界で己を磨く必要がある」

そんなことを感じた広域研修でした。








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2006-10-06

活動レポートその4 "交渉そして道開く"編

配属変更で一番難しいとされているのが配属先からのリリースレターの入手。

配属先から見れば俺が何をしていようが、何もしてなかろうがJICAの人間がいることの
意味は大きい。



「いつかJICAからお金がもらえるかも。。」という期待があるだろうし、
何もしていなくても彼らは損をすることはないのだから。

そこで、JICAスタッフとも良く相談して理論武装を固めていざ保健局長とミーティング。

J:JICA
P:PMO(保健局長)
K:KOJI

J「今、コージの技術が欲しいという機関がたくさんある。彼の技術は他の場所の方
が有効に活用されると我々は判断しました。そこで彼をリリースして欲しい。」

P「私にだってコージにやってもらいたいことたくさんあるんだ。」

K「何をしてもらいたいんですか?ここに仕事はないですよ。」

P「そんなことはない。お前はすでにいろいろな仕事をしてくれてるじゃないか」

K「私はあんなことをするためにわざわざ日本から来たわけじゃない。
私は無料で働くエンジニアではないんだ。私の技術をケニア人に伝えたいんだ。
ここには私の技術を引き継ぐ人がいないじゃないですか。」

P「じゃ、お前には何ができるんだ?」

K「逆に、あんたは俺に何を期待しているんだ。」

・・・

P「よし。こうしよう。1週間後にもう一度話し合おうじゃないか。
私はお前に期待することをレポートする。お前は自分のやりたいことをレポートしなさい。
もし、折り合うところがあったらその活動に予算を付ける。
折り合うところがなかったら私はお前をリリースする。」

K「そうしましょう。」


話はここで少し遡る

俺が配属変更について動き出していたころにその男は我々のオフィスにやってきた。
彼の名前はワイナイナ。彼はカレッジに行っていたため2年休職していた。

彼と話をしているとどうも他の二人(ケルーニョ、キプトーン)とは違うようだ。
まずやさしい。嘘をつかない。つまり、いい人である。
そして、コンピューターにたいして関心がある。知識もそれなりにある。

俺が配属変更を検討していると伝えると彼は
「私にはコージに教えてもらいたいことがたくさんあるんだ。どうか行かないでくれ。」
と真剣な眼差しで言われた。

彼はこのオフィスでは一番下級にあたり権力も弱い。
権力が全ての役所では彼と二人で仕事を進めていくことは難しい。
そこで俺はPMOにこんな内容のレポートを提出した。

"ワイナイナをITアドミニストレーターとして正式に任命し、私のカウンターパートに
設定すること"

権力が全ての役所であるからこそより強い権力のPMOから正式な辞令をもらうことが
必要と判断したからだ。
そして、PMOはそれを認めてくれた。

そうして、私はワイナイナと共にこの配属先でやっていくこととなったのです。














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2006-10-05

活動レポートその3 "配属変更だって楽じゃないんだよ"編

俺の残る任期は14カ月。
配属変更がスムーズに行ったとしてもその処理に1カ月はかかるだろう。
それに加えて引越しが発生したら家を探すのにまた1カ月はかかる。



生活に慣れるのに1カ月はかかる。
きちんとした活動をするとなれば最低でも1年は欲しいところ。
それを考えると、もたもたしている時間はない。。。

わかって欲しいのはどんな状況であっても配属変更は嬉しいことではないということ。

仕事は無くとも、保健局の人は俺に良くしてくれた。
それを何もしないままサヨナラするのは悲しい。何か恩返しがしたい。。。

本当に仕事が無いの?自分の力不足なだけなんじゃないの?
配属変更とかいってただ逃げてるだけじゃないの???

配属先が変わったからといってそこに仕事が用意されているとは限らない。
同じことに繰返しになるかも知れない。。。

JICAも配属先も役所。ほっといたらいつまでたっても配属変更の処理は進まずに
時間だけが過ぎていくだろう。。。

これ以上時間を無駄にしたくない。
二度とあんな辛い思いはしたくない。
・・・

そんな思いから俺は配属変更にあたって自分ができる限りのことをやってみた。

まず、次の配属先は自分で探そうと思った。そしてできることなら引越しの不要な
同じ街Nakuruで。

ナクルの図書館にインフォメーションセンターが設置されることになり、
そのコンピュータをメンテナンスする技術が必要という情報を入手した。
早速その図書館に行って図書館長と話をした。

その図書館は休みの日ともなると学生や子どもたちで満員となりみな真剣に勉強している。
その子どもたちに環境の重要さを訴えるインフォメーションセンターを設置するとのこと。
コンピュータには環境にまつわるデータベースやGISがあって自由に閲覧できるようになるらしい。
そこで図書館スタッフおよび学生相手の技術指導を行なえる人材が必要とのこと。
また、図書館では定期的に独自のイベントを開催しておりHIV/AIDSの啓発稼働なども
盛んであるという。

ここで働きたい。と思った。
ここならいろんな可能性がある。と思った。
役所のおっさんより、未来のある学生と仕事がしたい。と思った。

そこで、あとは手続きを進めるのみ。
まずは、JICAを説得することから始めないといけない。
担当調整員の了承はすぐに得られた。
でも彼だけでは話にならない。彼を信用していないわけではないが彼がその他の
JICAスタッフに説明するための資料を自分で作成した。

次は図書館からのリクエストレター。
図書館長は「すぐ書くよ」なんて言ってるけどなかなか書いてくれない。
プリンターがなかったり、ビジネス文書が苦手だったり、たんなるもの忘れだったりで
時間が無駄に過ぎていくので自分で作成して図書館長からサインをもらってJICAに提出
した。

ここまではトントン拍子で進んでいった。
このままいったらあと1カ月で図書館で働くことになるかもしれない。
だけど、そう簡単には行きません。ここは途上国ですからね。





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2006-10-04

活動レポート その2 "挫折そして決断"編

ここに全てを書くことはできないけれど、10ヶ月間とにかくやることがなくて、
やることをずっと探していて、ずっと耐えてきてた。

やれることがゼロであったとは言わない。


でも、それが彼らのためになるか?
それが自分のためになるか?
ということを常に考えていた。

頭を下げて、これをやらせて下さいという援助なんてあり得ないと思っている。
相手に頭を下げてもらいたいなんて思いは全くないけれど、
誰のためにもならないようなことをイヤイヤやるくらいなら日本でやりたくない仕事を
イヤイヤやってその給料を寄付した方がよっぽどいい。

だから、ヤミクモに手を付けたくなかった。
それが周りには「あいつ、何しに来たの?」と思われることが苦しかった。
ケニア人にも日本人にも「あいつは座ってるだけだ」、「難しいこと言わずに
何でもいいからやればいいのに」という声が聞こえてくるようで苦しかった。

俺だっていろいろと試してきた。
でも、何もかもうまくいかなかった。
日本に帰りたいなんて思ったことはないけど、
“何やってんだろ、俺”って感じの日々を過ごしてた。

配属変更という選択肢は常に考えてた。だけど、それは“逃げ”のような気がしてた。
最初から全てうまく行くことなんてないだろうし、辛抱強くできることを探すことが
大切なんだと信じてた。

そんな時、とても悲しくて悔しい事がおきた。
俺のやろうとすることにまったく関心をもってくれない同僚たちだったけど、
そのときはようやく関心を持ち始めてくれた時期だった。
だけど、ある同僚に裏切られて手に入れた予算がどこかに消えて

“コージは結局何もできないんだ”

という同僚からの冷たい視線だけが残った。


「もう、ここで俺がやることはないよ。。」

そして俺は配属変更をJICAに申請したのである。






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2006-10-03

活動レポートその1 "期待は打ち砕かれる"編

今まで州の保健局で10カ月ほど活動してきた。
活動のことはmixiにもほとんど書いてこなかったから知らない人がほとんどだと思う。
それは書けばきっと愚痴になるだろうから控えてきた。

でも、今なら書ける。



といういことで簡単に今までの活動レポートです。

俺は保健局職員にコンピューター(特にLANの有効活用および管理)の指導を
求められてケニアに呼ばれた。
正直いって文学部出身(卒論のテーマは「日本の伝統的子供観と水子供養における考察」)
の俺だからITの知識に自信はないのだけれど、
日本で4年間IT企業でそれなりに揉まれてきたし、やる気はあった。

ケニアでイッチョやっちゃろかー!って勢いでケニアにやってきたわけです。

でも、配属先に行ってみたら保健局長(当時)に「ボランティアなんて呼んでないよ」って言われた。
JICAは「心配しないで。彼はそういうこと言う人で評判だから。」と言う。
その時は俺もケニアに来たばっかりでよくわかってなかったから素直にJICAの言うことを
信じたけど今は確信してる。

"ありゃJICAの手続きミスだ"

俺の前任者は確かに後任を申請した。JICAもそれを認めた。
でも、配属先はそれを認めなかった。

この職場にコンピュータエンジニアは不要と判断したからだ。

だけどJICAは後任要請を取り消さなかった。いや、取り消し忘れたと言うべきだろう。

ちなみに俺の同期にはケニアに来たら自分の配属先にすでにボランティアがいたという隊員がいる。
つまり、JICAが二重に要請してしまったのだ。

JICAのお粗末さをここで嘆くつもりはないが、とにかく俺の要請はそんなものだった。

職場に行ってもまず人がいない。
いるのは庶務とか、掃除係とかだけ。(いい人ばっかだけど)
同僚は州保健局員としての任務である県保健局の監視業務でたいていはオフィスにいないのだ。
(でも、実際はほとんどがサボり)

俺のオフィスHealth Record セクターにはケルーニョとキプトーンという二人の同僚がいる。
ケルーニョは俺に「神に誓って酒は辞めた」と言っていたが相変わらず酒臭い。
そして「外回りしてくる」と言って盛り場に消えて行く。
キプトーンはWORDやEXCELは使いこなせる。だから自分に相当自信があるようで扱いにくい。
そして、権力あるものには絶対で下のものには横柄。つまり気持ちいい人ではない。

来た当初俺は職場のLANが全く使われていないのを不思議に思いキプトーンに尋ねると

「壊れてるんだ。金がなくて直せないんだ。だから金をくれ。」と言われた。

でも、見てみると全然壊れていない。
よくよく聞いてみると誰も使い方を知らないだけのようだ。

それでキプトーンにLANの使い方を教えようとすると必ず

「ちょっと人に会ってくる。後はコージがやってくれ。」

と言って出てってしまう。
自分がコンピュータを知らないと言うことを認めるのが嫌なのだろう。

そしてそもそもWORD,EXCELを知っているからというだけの人間にLANの管理を
任せようというのに無理がある。

俺に言わせればそれは

「車の運転ができるんなら車の修理もできるだろう」

という考えだ。
個人的にはコンピュータの管理はアウトソースすべきだと思ってる。
ケニアにも優秀なエンジニアはたくさんいる。ただ役所にはいないだけ。

でも、それって日本も同じでしょ?


そんな状況で俺はほとんどの時間を誰もいないオフィスで時間を潰していた。
でも、何かやれることはあるだろうっと思ってたから職場に行かなかったことはない。
(休むときは必ず連絡して休んだって意味ね)

ちなみに勤務時間は朝8:00から17:00まで。昼休みは1時間。
つらく孤独な9時間だった。それを10ヶ月続けたんだ。。




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