
ケニアから帰ってきて3ヵ月半。
俺は今日再びケニアに向けて日本を旅立つ。
今回は6ヶ月間首都のナイロビで生活する。
仕事の内容は前回と同様に保健局のコンピュータネットワーク環境の整備。
前回の2年で俺はケニアを満喫したし仕事もそれなりにやりきったと思ってる。
ケニアの友達と会えなくなったのは確かに淋しいけれど6ヶ月だけ会ったから
といって何が変わるわけでもない。
自分なりにもすごく悩んだ3ヶ月半だった。
ケニアにいる時からこの話はあった。
でも、断っていた。
援助というものに疑問を抱いていた俺は援助とは違った方向から世の中を良くする手法を
自分なりに模索していたのでそれに向けた一歩を早く踏み出したかった。
だけど俺が日本に帰ってきてすぐにケニアで大統領選挙を発端とした騒乱が起こった。
自分にできることが何もない歯がゆさ。
援助はやはり必要だという思い。
そして自分がいかにケニアを愛しケニアにお世話になっていたかを知るきっかけとなった。
そんな時に今回の話が正式に発表され3月から6ヶ月という期間であることを知った。
今回の職場は前回の時のヘッドクォーターでもあり知り合いも多い。
前回の職場は俺を求めていない状況だったので悔しい思いをしてきたのだが今回は違う。
"コンピュータエンジニアが欲しい!コージが欲しい!"
そう言ってくれているのだ。
前回も苦しい状況の中で俺は頑張ってはきたけどやはりどこかで
「どうせ、こんなの使われねぇさ。誰も俺に期待してないさ。」
という諦めという名の甘えがあったことを否定できない。
今回の状況だったらその甘えは許されない。
「この状況で俺はどこまでやれるのだろう?」
そんな挑戦したい気持ちが俺を奮い起こした。
俺はコンピュータエンジニアとしては経験も少ないし技術も低い。
だけどケニアの保健システムを理解していてケニア人のことをよく知っている
エンジニアはそうそういない。
俺の前の2年の経験をこれほど活かせるチャンスはそうはない。
コンピュータエンジニアとしてケニアに恩返しすることなど全く予想もしていなかった
けれどこれほど直接的に恩返しできるチャンスは無いと思った。
そして俺の協力隊後の人生において足りないものも見えてきた。
TOEICのスコアは伸びてはいるけど英語でビジネスするほどではないのは
俺がケニアに2年いた時に痛いほどわかっている。
俺の年齢を考えると次のステップに進むには即戦力でなければならない。
であれば新しい業界へ進むには実務経験を積むことが無理ならそれを補うだけの
経験とそれなりの姿勢を見せなければならない。
ケニアに2年いたというだけでは企業にとっては弱いのだ。
それにはその業界の資格を取ることが手っ取り早い。
だけど素人の俺がゼロから勉強を始めるには時間がかかりすぎる。金がかかりすぎる。
そんな時のケニア行きの話。
ケニアでなら英語も勉強できるし資格取得の勉強をする時間もできる。
そんな総合的な判断から俺はケニア行きを決めたのだ。
2年の任期を全うできずに帰国している後輩や任国変更になった後輩がいる中で
俺は2年+6ヶ月も活動することができる。
正直、申し訳ない気持ちも強い。
彼らの分までがんばるなんて無責任なことは言えない。
でも彼らのことは意識して行くつもりだ。
そしてケニアのために自分のためにこの6ヶ月を全力で消費してやろうと思っている。
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