2008-02-29

益子にて その2 栃木とアフリカ

友人の嫁さんが「今日母親とカフェでお茶してたら知り合いに会ったよ。
その人はアフリカから緊急帰国してきたんだって。」

よくよく聞くとその人は俺と一緒にケニアで働いていた隊員であったことがわかった。
世界は狭い、そして繋がっている。


その夜に近くの真岡という街でアフリカンダンスのイベントがあるというので友達と
行ってきた。

予想通りそのダンスと太鼓は西アフリカのもの(ギニア)で俺の知ってるケニアの音楽とは
全く別物。

ケニアの太鼓はもっと低音が効いていてそんなに激しくはなく同じフレーズが
延々と繰り返されて徐々に徐々にトランス状態に入っていくような感じだけれど
西アフリカのは高音で高速なリズムで一気にトランスに入っていく感じ。

これを蒸し暑い西アフリカで踊り続けるのかな?
日本人の西アフリカのダンスは何度か見たことあるけれどやっぱり西アフリカ人の
西アフリカンダンスを見てみたいなぁ。。




それにしても日本のアフリカンダンスの人気はすごいね。
アフリカ帰りということで目に付いてしまうことはあるけど日本各地でイベントがあるもん。

そのほとんどが西アフリカだから西アフリカンダンスと言って欲しいけれど。。
日本の踊りをアジアダンスと言ってるようなもんだ。


難しいことはぬきにして今回のイベントはとてもよかった。

ダンスはホントに上手だったし太鼓もすごく気持ちよかった。
会場が狭くて音がこもり過ぎで踊りたくなるようなハイテンションにはならなかったけど
西アフリカにもいつか行ってみたいと思った。




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2008-02-28

益子にて その1 陶芸の街、芸術の街

俺の友達が結婚して嫁さんの地元、栃木県益子町に住むことになった。
その嫁さんが自宅で始めるマッサージ屋の内装工事の手伝いをしに益子に行ってきた。

益子は陶芸の街。春と秋に開催される陶器市は大変な人だかりになるという。
陶芸の街といっても他の街と違うのは益子には益子以外から移り住んだ陶芸家が多いということ。

その友達の実家も陶芸家だしその近所にもポツポツと家があってほとんどが陶芸家の家。
ギャラリーも多く街中が芸術の香りがする希少な街。
友達の友達のギャラリーに行ってみた。若いアーティストがたくさんいることがわかった。
陶芸だけでなくガラス、鉄などの作品も多い。

友人がこの街に住むことになったのは偶然なんかじゃないんだと思った。




一気に春めいた暖かさの中で漆喰をこねたりペンキを塗ったりと体を動かして
久しぶりにうまいメシを食べた。




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2008-02-18

一時待機帰国と

ケニアの大統領選挙後の混乱で活動ができなくなった隊員の何人かが日本へ一時帰国している。
その隊員を励まそう!という飲み会を開催。

でも俺が思っていたよりもみんなしっかりしていた。
もちろんつらい思いもたくさんしているし志半ばで帰国している彼らは歯がゆい思いを
しているはずだ。
だけど前向きに次のことを力強く俺に語ってくれた。

そして「2年やりきった先輩はすごいと思う」なんて言葉をかけてくれた。




何だか俺が励まされてしまったよ。

2年やりきったのに俺はもう一度ケニアに行くわけだけど彼らの中にはケニアに戻れない
人もいる。
そんな彼らに申し訳ないという思いもあるけれどその分俺はやってやらなければならない
と強く思ったのでした。




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2008-02-16

宮古にて

ケニアでお世話になったDr.Gに会いに彼の住む宮古島にやってきた。
寒さに凍えて沖縄にやってきたけど本島も寒かった。
でも宮古はやっぱりあったかいと思えた。

懐かしいメンツで酒を飲んで昼寝してまた酒を飲んで犬と遊ぶ。

まるでここはナクルのような空間。

ほとんどどこも行かなかったけれどそれは予定通り。
俺は場所は変われどあのナクルの空間を求めてたんだ。





日本でだってケニアのような空間は作れるわけだし
日本が退屈だって言ってるやつはきっとどこに行ったって退屈なんだよ。

空間を作れ!




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2008-02-14

沖縄にて 酒と音楽と人と



ここは沖縄、浦添市。

今日はバレンタインデー。俺の友達の誕生日。
そいつが働くライブハウスでそいつを祝うイベントがあった。

そのライブハウスは3年ぶりに訪れたけど何も変わらないような懐かしさのなかに
音楽の素晴らしさを伝えてくれる刺激が相変わらず存在していた。

懐かしい顔もあれば新しい顔もあった。
どれも素晴らしい演奏でここに来るたびに「俺も音楽をやりたい」と心底思う。





ジャズピアニストのマコトさんとユージ君とタマシイと音楽について政治について
女について男について人生について沖縄について宮古について語り合う。
午前3時を回ったころにドラマーのスグルさんがやってきて6時まで語り合う。

ここはGroove。 音楽を愛する人が集まる愛すべき場所。

こういう空間をつくっているガチャさんは本当に愛すべき人間だ。



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2008-02-03

豆まき

我が家はどういうわけか節分にだけは相当な気合が入っている。

他の行事もそれなりにやってはいるけど形だけになってきているなか
節分だけは違う。

大量の豆を用意して窓という窓から大声で

「鬼は外!福は内!福は内!」 と叫びながら豆をまく。

福は内が二回なのがポイント。


俺は毎年のことながら恥ずかしくって声を張れない。


そして始まる恒例の菓子撒き。

これは俺たちが大人になってからはやってなかったんだけど
孫たちがそれなりの歳になったので去年より復活したという。





部屋を真っ暗にして駄菓子や小銭をばら撒いて
子供たちが必死に拾うという行事。

俺も見てて昔を思い出した。

来年は俺が鬼役になってこの菓子撒きに参加しようと決めた。

もう恥ずかしがってる場合じゃないね。





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Peace





祈りよ届け



ケニアにかかわる全ての人が心から笑える時がおとずれますように。。



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2008-01-31

札幌にて



両親とは今日でお別れ。俺は札幌で同期の友達と会った。

吹雪の中、円山動物園に行ってきた。

ケニアの大草原で見た動物たちに零下5度の北の土地で再会。
不思議な気分。

中でも印象的だったのはサル山の餌やりをしていた飼育員の笑顔。

客は俺たち二人しかいないんだ。
でも、その飼育員はおいしそうに餌を食べる猿たちを見守りながら
本当にいい笑顔をしていた。

心からサルがすきなんだなぁって顔をしていた。


夜はススキノの街でお食事。

ここ数日のお酒でかなり胃腸も弱っていたけどやっぱり久しぶりの
友達と一緒に飲んでりゃ止まらない。

結局二人でかなりの量のお酒を飲んだ。

北海道のおいしい肴もよかったけれどやっぱり友と話す会話が一番の
肴だね。

いろんな話ができた。いろんな話を聞いてもらえた。


そこの店員さんもとても感じがよかった。いい顔をしていた。





その子と話したんだけどある程度の歳になると生き様が顔に出る。

だからいい顔でいたいよね。って。

その顔は作れるものじゃない。にじみ出る物。

だからこそ生き様が大事。

人間はやっぱり顔だと思う。


札幌に来ていい顔をしてる友達に会えてホントによかった。




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2008-01-30

小樽観光




今日は小樽市内を回った。

母ちゃんの母校や親父の母校。
親父と祖父ちゃんが昔住んでいた家の跡地。
俺が昔よく行った市場や水族館。

俺の知っている良き小樽。


で午後はいわゆる小樽観光。

観光地化された運河。
ド派手になってた北一硝子やオルゴール堂。
誰が買うのかよくわからないようなガラクタばかりの土産屋。

ホントに日本って観光が下手くそだと思う。

こんなに素敵な倉庫街があってこれしかできないのか。。





親戚のおじちゃんが言ってたよ。

「小樽の人はここら辺には来ないよ。」

地元の人がいない街を観光するなら北海道でなくていいだろ。

俺にやらせてみなよ。悪いようにはしないからさ。なんてね。



(写真は親父の生家跡地)

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2008-01-29

小樽にて





















俺は日本に帰ったら両親を旅行に連れて行こうと決めていた。

どこがいいだろう?と悩んでいるうちに月日が過ぎてしまい
俺の親孝行願望も次第に衰えてきているのを感じていた。

これはまずいということで両親の反対を圧して俺が行きたかった
北海道に親子3人で行ってきました。

俺の両親は共に小樽生まれの小樽育ち。

両親はしょっちゅう小樽に帰ってるけれど俺は小学生以来帰ってない。
だから俺の帰国報告もあわせて行って来ました。




つくなり北海道の親戚が大集合していて寿司とお酒が待っている。

平日だったので車で帰る人が多く酒を飲むのはほぼ俺一人。

で、隣に座っているのは大の酒好きのいとこ(痛風持ち)。

酒の飲めない彼は俺のグラスが乾くことを知らないペースで酒を注いだ。


俺は今日生まれて初めて両親がいる前で、しかも大勢の親戚のいる前で
ゲロを吐いた。。

食べたお寿司も全部出ちゃった。。

みんなアフリカの話が聞きたいって集まってくれたのに俺が話したのは
ケニアのお酒の話くらいだ。。

一生の不覚。。




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2008-01-28

デニス

彼は俺の住んでた学校の敷地内に住んでいた。
二児の父親で歳は32歳。職場が市役所ということで近所の専門家の車で毎朝
3人で一緒に通勤していた。

仕事も勤勉で酒も週末しか飲まない。
子供をとても愛していた。

安月給ながら貯金して買ったパソコンをよく俺が教えてあげていた。
子供も俺を見ると遠くから自転車をこぎながら「コージ!」と叫んでいた。

彼はナクルではあまり見かけないキシー人。
人懐っこい笑顔で一発でいいヤツだってわかるような気持ちのいい人間だった。

そんな彼の生活が崩れていったのは俺が日本に帰る半年くらい前からだと思う。

彼は近所に大きな家を建てて引っ越した。市役所を辞めて民間の職に就いた。

それから会うことは少なくなったのだけど俺がタウンに飲みに行くと必ず彼がいた。

ベロベロになるまで酒を飲み、周りの客や店員に絡んでいた。
つるんでいる仲間も普通の仕事をしているようには見えなかった。

そんな彼はどこか痛々しかった。

彼のあの人懐っこい笑顔はもう彼にはなかった。


そんな彼がナクルの自宅で殺害されたと連絡があった。





キシイ人が政治的に殺されたとは考えにくい。
混乱にまぎれた犯行かもしれない。


ケニアではこの1ヶ月で1000人近い人が殺され25万人ほどが家を逃げ
避難生活を強いられている。

報道であるような人種問題が全てではない。
社会の歪みがこういう形でケニアの弱者たちに及んでいるのんだ。

そしてその歪みを作った責任は自分にもあるのだ。

デニスのあの笑顔を奪ったのは俺のせいでもあるんだ。


だけど俺にできることがわからない。



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2008-01-27

Utaenda wapi Kenya?

















年末のケニアの大統領選挙後の混乱は収まることなくエスカレートしていく。

そしてその暴動の波はとうとうナクルまで波及した。


もともとナクルは多数の部族が集まる都市で政治的には不安定とされていた。
でも、今回は他の都市より安定を保っていた。

それは思うに他の都市と比べて部族間のバランスが良くてどこの部族がマイノリティと
いえない状況だったからだと思う。でもそれは非常に危ういバランスだった。

そしてナクルで暴動が始まった。


一度火がついたら広まるのは早かった。

ニュースで飛び込んでくる知った地名と見慣れた風景。

とても悲しくなるとともに友人たちの安否が気になる。

ワイナイナには何度か連絡してるけど連絡が取れなくて不安な日が続いていた。


そして今日ようやくワイナイナと連絡が取れた。





「俺は元気だよ!家族も元気だよ。」

「確かに今のケニアの状況は良くない。
でも、ケニア人のことだからすぐ忘れてしまうさ。
あと1週間もすれば元通りになるさ。」

いつものようにどんな問題でも笑い飛ばしてしまう彼ら。

ケニア人ってどれだけ強いんだろう。

彼らの強さは正直理解できないところがある。


ただの強がり?
それとも生き残るためにそうした強さが必要なのか?

とにかく平和になってほしい。

でも、流した血を簡単に忘れてほしくない。
この血がケニアの抱え込んでいた問題をひとつずつでも解決していくことに
繋がってほしい。

苦しいときや悲しいときに苦しいと悲しいと言えるケニア人を見てみたいから。

ケニア人がケニア人として苦しんで本当のアイデンティティを得てほしいから。

でも、今苦しんでいるのは本当に弱いひとばかり。
このまま回復してもダメなような気がする。

どうしていいかわからない。
何ができるのかわからない。







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2008-01-26

今夜は君に会うことになっていたんだね

ちょっとプライベートで悲しいことがおきて軽く落ち込んでいたんだけど
今日はJICA新春交換会。

あんまり気が乗らなかったんだけど家で一人でいるとドンドン落ち込んじゃうから
顔を出してみた。

そしたらすごい偉い人ばかりで年配の方ばかりの場だった。
国会議員とかね。。


もちろんそうした中でも楽しい出会いは必ずあるのだろうけどちょっとそんな元気は
さすがになくてすぐに会場を後にした。

このまま帰ろうかなぁ、、って思ってるときにふと昔の友達を思い出して電話してみた。

そいつも予定がないってことでそいつが今住んでる吉祥寺に行ってきた。

そいつは大学時代の同じゼミの友達。

お互いろくに授業も出てなかったのでそんなに一緒にいた時間はないのだけれど
なんかの飲み会でじゃぁ「タイでも行くか!」ってことになって二人でタイに行ったことがある。

その後も何年かに一度会うような関係だった。

今回もそいつとは2年半ぶりくらいに会ったのだけどあっという間にFitした。




俺はあんまり元気がないからちょっと飲んですぐ帰ろうと思ってたんだけど
俺の中の何かがこいつを求めていたのかな?

そいつと会って飲みだして話し出すと "こいつとは今日会うことになってたんだな"

と思うほどお互いにお互いを求めていたかのような話題が続く。

なんかすごく元気になってきちゃって二人で遅くまで飲んで語り明かした。

うれしくなりすぎて殴りあいになって翌日にメチャクチャあばら骨が痛かった。
でも二人とも覚えてなくてしばらく

「何でわき腹痛いんだろ?」

って言ってた。

(思い出したのは翌日の昼過ぎ)


こいつと会ってようやく決心できた。

俺はもう一度ケニアに行こうって。




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2008-01-22

わからんなぁ、中京エリア。 犬山にて。














とりあえず今回の旅行は今日で終了。
今夜はエイズ対策隊員の飲み会が新大久保であるからね。

で可児の友達に犬山まで連れて行ってもらって名鉄で名古屋へ向かう。

その途中でLittle worldという岐阜でいろんな人から勧められた場所が
あったので行ってみた。

でも、1800円もかかるというので入り口で写真とって帰ってきた。

なんでもそこは世界中の料理が食べられるのだそう。だったら入場料とるなや!


次は犬山モンキーパーク。
思いっきり大阪の太陽の塔のパクリ見たいのがあってありゃなんだ?って
きくと「太陽の塔だよ」って答えるから「すっげー勇気あるネーミングだね。」
って言うと「いや、こっちのほうが古いんじゃない?」だって。

マジで?


気になりまくって中に入ろうとしたけどこちらも2500円で断念。






※どうやら本当らしくこっちのも岡本太郎作で「若い太陽の塔」というらしい
だとしてもこっちが古いならあえて”若い”とつけるだろうか?
詳しい人いたらぜひそのあたりを聞きたい。



で次に現れたのは桃太郎神社。

犬山ときてモンキーパーク、やっぱり次はキジですかい?


きくところによるとこのあたりの人は桃太郎は岡山でなくて犬山がオリジナルだと
信じきってるとのこと。

「ほら、あれが鬼ガ島だよ」

「え。。鬼ガ島って川の中州にあるの??」


まぁ、俺は岡山でも犬山でもいいんだけど面白そうだから桃太郎神社に行ってみた。

そしたら度肝を抜かれるようなもののオンパレード。

俺は久しぶりに大興奮してしまった。

そこで友人がこんなことをポツリと言う

「たしかここ鬼のミイラがあるんだよね」

マ、マ、マジでーーーーー!!!!


大急ぎで資料館に駆け込んだ。

でも、そこで俺のテンションは一気に落ちた。
思い出したくもないので中に何があったのかも書きません。


なんだか悲しい気持ちで友達と別れて名古屋に向かいました。

いろんな人に会えてすばらしい旅でした。

みなさんありがとう。また来ますね。


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2008-01-21

お風呂でチャッポリン。 下呂にて













可児から高山本線を下ること1時間少々で下呂につく。

むちゃくちゃ寒い。お風呂に入ったらきっと街を歩けないだろうと
思って小走りで街を散策。

そこに何の説明もなしにチャップリンの銅像が置いてある。

なぜここにチャップリン???



・・・まぁ寒いから温泉入ろう。


で友達が教えてくれたのは橋の下にある無料の公共露天風呂。
脱衣所も何にもないそこは橋から丸見え。

こういうの大好きでーす!

で入ってびっくり。ぬるーい!

湯量が少なくてドンドンぬるくなってしまうんだとか。。

でもずーっと入ってるとだんだんあったまってきて結局そこに1時間30分も
入ってました。




途中で地元の人と面白い関西弁の人がやってきたので地元のおじさんに

「あのチャップリン像ってなんであそこにあるんですか?」

ってきいたら

「知らんなぁ。。」

そしたら関西弁のおっさんがこう言った。

「お風呂にチャッポリンやろ?」



温泉はいいねぇ。






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2008-01-20

可児にて





可児市というところの同期隊員を尋ねに行ってきました。

けいちゃん という料理をご馳走になりました。
小倉トーストに挑戦しました。
ケニアでも食べた岐阜ラーメンを食べました。
小学生以来の大好きだったスガキヤラーメンも食べれました。
お姉さんが買ってきてくれたTusker Importを飲みました。




今日もたらふく美味しいものを食べて美味しい酒を頂きました。
その友達の家族といっしょに。

やっぱ実家めぐりはいいなぁ。

その人のことがよく見えてくるから。

次はどこへ行こうかしら?



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2008-01-18

万博記念公園にて





でっかいものツアー第3弾はここ!

そう太陽の塔です。

写真では何度も見たことあったけどこんなに大きいんだ。。。

大阪万博当時の写真を見たけれどありゃすごいよ。

未来に対する明るい情熱に満ち溢れていた時代なんだろうな。
暗い未来しか想像できない今の時代とはまったく違うんだろうな。





で、隣にある昔から行きたかった民族学博物館へ行ってきました。

無料でPSPを貸してくれて展示物の説明を動画で見れます。
すごい時代だね。

資料室ではかなり貴重な映像もたくさん閲覧できてかなり楽しめた。

特にマサイの戦士の昇格儀式の映像は見どころがあった。

「よくこんな映像撮れたな。。」って思ってたらエンドロールで

撮影:神戸俊平って出てきた。

神戸先生なら撮れちゃうんだなぁ。ホントにいろんなことしてる人だ。

人生は芸術だ!

芸術は爆発だ!

なら "人生は爆発だ!" ね。


爆発人生に生きてみよう。





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happy birthday えっちゃん

きっと生まれて初めての経験だと思う。

友達のお母さんの誕生日会に参加したのは。


鳥取で再会したそいつの実家にそいつの嫁と一緒に3泊もさせていただいた。
そして今夜は彼のお母さんの誕生日。

ケーキを買ってお花を買ってお父さんの手作り料理で盛大なパーティー!

お父さん、お母さん、息子とその嫁と俺。

まったく関係のない俺なのにそんなのお構いなしにパーティーは続く。


この家に3泊できて良かった。




家族っていいよね。

俺の家族だっていいんだけど、人の家族ってすごく新鮮というかなんというか。

この家族だからこいつがこう育ったんだなってのが見えるのが楽しい。

そいつの嫁もホントにホントにいい女だと思った。


ケニアでよく聞かれた言葉。

「結婚してるのか?何で一人なんだ?俺には理解できない。」


俺だって結婚したいんですぜ。
俺だって理解できねぇよ。

あぁ、家族を作りたい。。




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2008-01-17

富田林にて





大阪はあまり知らなくって河内長野に向かう途中の富田林というところで
わけのわからない物体がそびえ立っているのに驚いて俺は声を上げた。


「な、な、なんじゃありゃーー??」

「あ、あれはPLの塔だよ。」


PLってPL学園の?桑田?清原?で、いったいあれは何?


ということで今日はPLの塔へ行ってきました。



正式には大平和記念塔というのかな。

展望台までは入れないのだけど下のほうにある神殿までは入らせてもらえた。

そこに教祖様の教えが書いてあるのだけれど一言目が

”人生は芸術である!”

だったのにぶったまげたね。

なんせこの塔は高さ180mあるんだよ。
しかも教祖が粘土細工でつくったのをその高さで作っちゃったんだからね。

芸術だと思うよ。

ちなみにPLの花火は12万発!!最後の数分だけで8000発が打ち上げられるんだと。

まだまだ日本にも知らないものがたくさんあるんだね。




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2008-01-16

奈良にて







砂丘滞在時間はわずか2時間で京都に戻り酒を飲んで今日は俺のふとした発言

「大仏見たいなぁ」

で奈良へ行ってきた。

鎌倉で大仏を見たときなんだかあまりに安っぽくって奈良の大仏をもう一度見たいって
思ったのがきっかけ。

それがこれから始まる"でっかいものツアー"に繋がるんだから旅は辞められない。





で、奈良の大仏だけどやっぱりでかいねー。
あんなでっかいのが木造の家に入ってるってのが信じられん。

あの建物のほうがすごい気がしてくる。

時期的、時間的にあまり参拝客もおらずじっくりと大仏が見れた。
それとあの柱くぐりってのもチャレンジした。

ケニアで少し痩せた俺はスルリと超えられてホッとしてたらお寺の人が

「それ、あんた逆やわ。」

どうやらくぐりぬける方向が決まっているらしい。

鹿にどっつかれながら奈良っていいなぁと思いながら大阪の河内長野のそいつの
実家に行ったのでした。







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