2008-03-31

初出勤

NASCOP
(National AIDS/STI COntroll Programme)

ここが俺の新しい職場。

同僚たちは忙しく働いていて外国人も数多く出入りしている。
各国のエキスパートや援助団体のスタッフ、そして各国からの学生。

そんななかで俺はボランティアとして働くわけだけどちょっとプレッシャーを感じてる。

同僚のレベルは高いしスタッフもみな世界的に活動しているような人たちばかりで
先進国の学生が勉強しに来ていたりする所だからね。

これが初めての協力隊だったらきっと

「こんなところに援助の必要なんてない!」とか言ってたことだろう。



協力隊なんて援助じゃないんだな。

名前のとおり協力する人間なわけだから俺ができることを俺なりにやって行けばいいのさ。

ということでまずはみんなと仲良くなって彼らの仕事ぶりを観察することにします。




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2008-03-26

Kenya Tena



自宅を出てから羽田->関空->ドバイ->ナイロビと待ち時間を入れて32時間。

再び訪れたケニア。

3ヵ月半ぶりに戻ってきたケニアはやはり美しくて、おれにとっては旅の興奮というより
はむしろ心の落ち着く場所になっていた。


強い日差しと青くて大きな空。
黒い肌に生える人々の笑顔。
どこからともなく聞こえてくる音楽と人々の笑い声。
ボコボコの道路の上の大渋滞と排気ガス。
雨上がりのタスカー。


実は飛行機の中でもまだ”ホントにもう一度ケニアに行っていいのだろうか?”
なんて考えていたのだけれどケニアの地に足をつけた瞬間そんな悩みは消えていた。




今日はひとつしたの後輩たちが日本に帰国する日だった。
俺が乗ってきた飛行機に入れ替わりに乗って行くことになっている。

何とか彼らに会いたくて空港の中を探し回ってようやく見つけ出した。

最後の最後で大統領選挙でメチャクチャにされてしまった彼らだったけど
やりきった隊員にしか見られないあの表情をみんなしていた。

たくましいと思った。

そして俺ももう一度がんばろうと思った。

それにしてもケニアで飲むタスカーは本当にうまい。



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2008-03-25

もう一度ケニアに行くのです。



ケニアから帰ってきて3ヵ月半。
俺は今日再びケニアに向けて日本を旅立つ。

今回は6ヶ月間首都のナイロビで生活する。

仕事の内容は前回と同様に保健局のコンピュータネットワーク環境の整備。


前回の2年で俺はケニアを満喫したし仕事もそれなりにやりきったと思ってる。
ケニアの友達と会えなくなったのは確かに淋しいけれど6ヶ月だけ会ったから
といって何が変わるわけでもない。


自分なりにもすごく悩んだ3ヶ月半だった。


ケニアにいる時からこの話はあった。
でも、断っていた。

援助というものに疑問を抱いていた俺は援助とは違った方向から世の中を良くする手法を
自分なりに模索していたのでそれに向けた一歩を早く踏み出したかった。

だけど俺が日本に帰ってきてすぐにケニアで大統領選挙を発端とした騒乱が起こった。

自分にできることが何もない歯がゆさ。
援助はやはり必要だという思い。
そして自分がいかにケニアを愛しケニアにお世話になっていたかを知るきっかけとなった。

そんな時に今回の話が正式に発表され3月から6ヶ月という期間であることを知った。
今回の職場は前回の時のヘッドクォーターでもあり知り合いも多い。
前回の職場は俺を求めていない状況だったので悔しい思いをしてきたのだが今回は違う。


"コンピュータエンジニアが欲しい!コージが欲しい!"


そう言ってくれているのだ。

前回も苦しい状況の中で俺は頑張ってはきたけどやはりどこかで


「どうせ、こんなの使われねぇさ。誰も俺に期待してないさ。」


という諦めという名の甘えがあったことを否定できない。

今回の状況だったらその甘えは許されない。




「この状況で俺はどこまでやれるのだろう?」


そんな挑戦したい気持ちが俺を奮い起こした。


俺はコンピュータエンジニアとしては経験も少ないし技術も低い。
だけどケニアの保健システムを理解していてケニア人のことをよく知っている
エンジニアはそうそういない。

俺の前の2年の経験をこれほど活かせるチャンスはそうはない。

コンピュータエンジニアとしてケニアに恩返しすることなど全く予想もしていなかった
けれどこれほど直接的に恩返しできるチャンスは無いと思った。



そして俺の協力隊後の人生において足りないものも見えてきた。

TOEICのスコアは伸びてはいるけど英語でビジネスするほどではないのは
俺がケニアに2年いた時に痛いほどわかっている。

俺の年齢を考えると次のステップに進むには即戦力でなければならない。

であれば新しい業界へ進むには実務経験を積むことが無理ならそれを補うだけの
経験とそれなりの姿勢を見せなければならない。

ケニアに2年いたというだけでは企業にとっては弱いのだ。

それにはその業界の資格を取ることが手っ取り早い。
だけど素人の俺がゼロから勉強を始めるには時間がかかりすぎる。金がかかりすぎる。

そんな時のケニア行きの話。
ケニアでなら英語も勉強できるし資格取得の勉強をする時間もできる。


そんな総合的な判断から俺はケニア行きを決めたのだ。


2年の任期を全うできずに帰国している後輩や任国変更になった後輩がいる中で
俺は2年+6ヶ月も活動することができる。

正直、申し訳ない気持ちも強い。
彼らの分までがんばるなんて無責任なことは言えない。

でも彼らのことは意識して行くつもりだ。

そしてケニアのために自分のためにこの6ヶ月を全力で消費してやろうと思っている。





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2008-03-22

浅草にて



俺がケニアに行くのを見送りに!ってわけじゃないけど徳島からあの男が東京にやってきた。
で関東のケニア男が集まって4人で浅草デート。

六区の汚いもんじゃ焼き屋でもんじゃ食べてホッピー飲んでものすごい数の観光客の間を
すり抜けて隅田川の川っぺりへ。

そしたら桜がポッと咲いていた。


こいつは縁起がいいねぇということであの金色のウンコの前で記念写真。




ジャケ写みたいだったので2年後ぐらいにCDでも作ってミリオン売ろうと決めた。

とりあえず俺はギター担当。


春満開の中、気心知れた男4人のぶらり浅草の旅。

気持ちがよかった。


次は徳島で会いましょう。




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2008-03-21

マンボ?

歌舞伎町でケニアから一時帰国している隊員と元隊員数名で飲んでいた。

だけどみんな会話に集中できない。

隣の客が気になって仕方ないのだ。。


だって黒いんだも~ん。しかも顔がルオー人っぽいんだも~ん。

だけどその連れ(後にメキシコ人と判明)が勘定が合わないと店員と大ゲンカしていて
なかなか声がかけられないでいたのだ。


だから俺たちもわざとでかい声で「あ~ギゼリ食べてぇ!」とか言っていた。

そんな中タイミングを図って「あのぉ、どこから来たんですか?」と声をかけてみた。
そしたらそいつベロベロに酔っ払っていて「中国人?」と言っている。

日本で中国人に間違えられたよ。。




ダメもとで「スワヒリ語知ってる?Unaweza kuongea Ki swahili?」

って聞いてみたら30秒くらい間があってから

「ナンデ 中国人がスワヒリ ハナシテルノデスカ?」と言って来た。

事情をスワヒリ語で説明するとまた30秒くらい間があった後に

「マンボ?」 と恐る恐る彼は声を発した。

そして俺たち全員で 「ポア!」と答えると彼はものすごくいい笑顔になって
その後俺たちはスワヒリ語で彼と飲み明かしたのです。

とってもいい奴で一時帰国している隊員はケニアにホームシックにかかっていたよ。

でも彼はケニア人ではなくてルワンダ人なんだよね。
だからスワヒリはカタコトで俺たちとだいたい同じレベルだったよ。


贔屓目なしにスワヒリ語ってすごくいい。
テンションが自然と上がる言葉だと思う。嫌なこともすべて忘れられるような挨拶の数々。

ハバリ? ムズーリ!
ジャンボ? ジャンボ!
マンボ?  ポア!
サーサ? フィット!
セマ? シナマネノ!


ね、自然と笑顔になるでしょ?




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2008-03-19

鯛ずくし




釣ってきた鯛を料理しました。

親父に習いながら鯛を3枚におろして刺身。

残ったアラで味噌汁。

小さい鯛で鯛めし。

一匹丸々の塩焼き。




想像を絶する旨さ。
きっと銀座の料亭なんかで食べたら俺の失業保険の1週間分が消えるね。

それが食べ放題。

これだから釣りは止められない。






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2008-03-17

サカナトゥーリ


親父と一緒に釣りに行った。
車に乗って新潟県の直江津まで行った。

今までも年に一度は親父と釣りに行っていた。
でも今回は初めての鯛釣り。

船に乗る人全員が同じタナを保たないとダメらしく素人はみなに迷惑をかけてしまう緊張の釣り。

だから俺はタナをキープすることだけに集中して”釣れたらラッキー”くらいに構えていた。

船に酔い、何度もゲロを吐きながら他の人が釣る鯛に

「綺麗なサカナだぁ」 とため息をついているとキャプテンが

「右舷の5番かかってんぞぉ~」と怒鳴る。

よくわからんが俺は船の右側の前から5番目。おそるおそるリールを巻くと何だかいつもと違う。

おっちらおっちらリールを巻き続けると海の中からピンク色した綺麗な鯛があがってきた。

その後もそんな感じで結局3匹を釣り上げた。

親父は7匹。





いつも家でテレビばかり見てる親父だけど釣りに行くとかっこいい親父が見れるからうれしい。

久しぶりに会った親父はだいぶ老け込んでいたけれど好きなことをやっている時はやはり
輝いている。

輝いている人を見るのは気持ちいい。

綺麗な魚を釣り上げるのはもっと気持ちがいい。


うれしいな、楽しいなサカナトゥーリ!










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2008-03-15

オザキユタカーズ



高校のラグビー部の連中と飲んだ。

思いのほか盛り上がった。

「お前は人としては最低だ。でも友達だ。だから最低でい続けろ!」

そんな男くさい話題を延々とし続けていつものようにベロベロに酔っ払った。


今度結婚する友達の結婚式の披露宴に俺は参加できない。

だから俺は彼らに託した。

「みんなでブルージーンズと白Tシャツで行ってフリーズムーンを熱唱してくれ!」




みんなはやってくれると信じている。

確かに俺は参加しない。最低だと思う。だけど俺はあいつらの友達だ。
最低な男を最高の男にするのが友達の仕事だと思う。

頼むぜオザキユタカーズ!!



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2008-03-07

もう一度ケニアへ行くのですか?

JICAから連絡があり3月25日にケニアに行くことに決まった。

ホントは3月23日に沖縄に行って友達の結婚式を祝いたかった。
3月31日の母親の還暦祝いを家族全員で祝いたかった。
4月には高校の友達が結婚する。

それなのに俺はケニアにもう一度行くのだ。。

ある友達は言ってくれた。

「もう行かなくてもいいんじゃないの?」




そうかもしれない。

でも行くと決めた。

それが正しい決断かどうかはわからない。

でも行くと決めた。

俺が決めたんだから俺が責任を取って俺が成果を残さなければならない。

それしかない。



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東村山にて

後輩隊員に会いに行った。

彼はケニアから一時帰国していてナミビアに行かないか?とJICAに言われている。
ケニアに戻りたい気持ちもありつつナミビアにも期待を抱いている彼に決心をさせて
あげようということで。

俺が何を言ったわけでもないけれど一緒に酒を飲んでいるうちに彼はナミビアに
行くことを決めた。




それでいいんだ。

どこにいたって空間は自分で作るもの。彼なら作れる。

ケニアを愛する人間はおそらく世界中を愛せるのだ。



ヨーイチwithヨイチ



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2008-03-01

益子にて その3 大人が本気で遊ぶと。。

今日は週末ということで友人の父親が内装工事の手伝いに来てくれた。
これで俺はその友人夫婦の両親4人と全員一緒に飯を食ったことになる。
何だかこれもすごいよね。

で、そのお父さんは自分が住んでる家を自分で作ってしまったすごい人。
そして35歳からラグビーを始めてラグビーチームを作ってしまったすごい人。
おまけにそのクラブ専用のグランドとクラブハウスを作ってしまったチョーすごい人。

というわけでそのお父さんに連れられてそのクラブハウスに行ってきた。

そこはラガーマンにとっての夢の国だった。





見晴らしのいい高台にある全面芝のラグビー専用グランド。
グランドの周りには桜の木が植えられている。
クラブハウスにはシャワーがあり更衣室がありバーベキューの囲炉裏があり
ビールサーバがありカラオケがありそして眠る場所もある。

ここでラグビーを思う存分して試合が終わったらシャワーを浴びてビールを飲んで
近くの川で釣った鮎を焼いて食べる。
カラオケを歌いながら死ぬほど酒を飲んで死んだように眠ることができる。

あー素晴らしい!

そしてそれが全部手作り。

あー素晴らしい!!


かつて俺の友人がその場所を見てこう言っていた。

「大人が本気で遊んだらやばいぞ!」


夢の場所を自分で作ってしまうことができちゃうんだ。

ますます益子が好きになった。







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2008-02-29

益子にて その2 栃木とアフリカ

友人の嫁さんが「今日母親とカフェでお茶してたら知り合いに会ったよ。
その人はアフリカから緊急帰国してきたんだって。」

よくよく聞くとその人は俺と一緒にケニアで働いていた隊員であったことがわかった。
世界は狭い、そして繋がっている。


その夜に近くの真岡という街でアフリカンダンスのイベントがあるというので友達と
行ってきた。

予想通りそのダンスと太鼓は西アフリカのもの(ギニア)で俺の知ってるケニアの音楽とは
全く別物。

ケニアの太鼓はもっと低音が効いていてそんなに激しくはなく同じフレーズが
延々と繰り返されて徐々に徐々にトランス状態に入っていくような感じだけれど
西アフリカのは高音で高速なリズムで一気にトランスに入っていく感じ。

これを蒸し暑い西アフリカで踊り続けるのかな?
日本人の西アフリカのダンスは何度か見たことあるけれどやっぱり西アフリカ人の
西アフリカンダンスを見てみたいなぁ。。




それにしても日本のアフリカンダンスの人気はすごいね。
アフリカ帰りということで目に付いてしまうことはあるけど日本各地でイベントがあるもん。

そのほとんどが西アフリカだから西アフリカンダンスと言って欲しいけれど。。
日本の踊りをアジアダンスと言ってるようなもんだ。


難しいことはぬきにして今回のイベントはとてもよかった。

ダンスはホントに上手だったし太鼓もすごく気持ちよかった。
会場が狭くて音がこもり過ぎで踊りたくなるようなハイテンションにはならなかったけど
西アフリカにもいつか行ってみたいと思った。




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2008-02-28

益子にて その1 陶芸の街、芸術の街

俺の友達が結婚して嫁さんの地元、栃木県益子町に住むことになった。
その嫁さんが自宅で始めるマッサージ屋の内装工事の手伝いをしに益子に行ってきた。

益子は陶芸の街。春と秋に開催される陶器市は大変な人だかりになるという。
陶芸の街といっても他の街と違うのは益子には益子以外から移り住んだ陶芸家が多いということ。

その友達の実家も陶芸家だしその近所にもポツポツと家があってほとんどが陶芸家の家。
ギャラリーも多く街中が芸術の香りがする希少な街。
友達の友達のギャラリーに行ってみた。若いアーティストがたくさんいることがわかった。
陶芸だけでなくガラス、鉄などの作品も多い。

友人がこの街に住むことになったのは偶然なんかじゃないんだと思った。




一気に春めいた暖かさの中で漆喰をこねたりペンキを塗ったりと体を動かして
久しぶりにうまいメシを食べた。




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2008-02-18

一時待機帰国と

ケニアの大統領選挙後の混乱で活動ができなくなった隊員の何人かが日本へ一時帰国している。
その隊員を励まそう!という飲み会を開催。

でも俺が思っていたよりもみんなしっかりしていた。
もちろんつらい思いもたくさんしているし志半ばで帰国している彼らは歯がゆい思いを
しているはずだ。
だけど前向きに次のことを力強く俺に語ってくれた。

そして「2年やりきった先輩はすごいと思う」なんて言葉をかけてくれた。




何だか俺が励まされてしまったよ。

2年やりきったのに俺はもう一度ケニアに行くわけだけど彼らの中にはケニアに戻れない
人もいる。
そんな彼らに申し訳ないという思いもあるけれどその分俺はやってやらなければならない
と強く思ったのでした。




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2008-02-16

宮古にて

ケニアでお世話になったDr.Gに会いに彼の住む宮古島にやってきた。
寒さに凍えて沖縄にやってきたけど本島も寒かった。
でも宮古はやっぱりあったかいと思えた。

懐かしいメンツで酒を飲んで昼寝してまた酒を飲んで犬と遊ぶ。

まるでここはナクルのような空間。

ほとんどどこも行かなかったけれどそれは予定通り。
俺は場所は変われどあのナクルの空間を求めてたんだ。





日本でだってケニアのような空間は作れるわけだし
日本が退屈だって言ってるやつはきっとどこに行ったって退屈なんだよ。

空間を作れ!




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2008-02-14

沖縄にて 酒と音楽と人と



ここは沖縄、浦添市。

今日はバレンタインデー。俺の友達の誕生日。
そいつが働くライブハウスでそいつを祝うイベントがあった。

そのライブハウスは3年ぶりに訪れたけど何も変わらないような懐かしさのなかに
音楽の素晴らしさを伝えてくれる刺激が相変わらず存在していた。

懐かしい顔もあれば新しい顔もあった。
どれも素晴らしい演奏でここに来るたびに「俺も音楽をやりたい」と心底思う。





ジャズピアニストのマコトさんとユージ君とタマシイと音楽について政治について
女について男について人生について沖縄について宮古について語り合う。
午前3時を回ったころにドラマーのスグルさんがやってきて6時まで語り合う。

ここはGroove。 音楽を愛する人が集まる愛すべき場所。

こういう空間をつくっているガチャさんは本当に愛すべき人間だ。



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2008-02-03

豆まき

我が家はどういうわけか節分にだけは相当な気合が入っている。

他の行事もそれなりにやってはいるけど形だけになってきているなか
節分だけは違う。

大量の豆を用意して窓という窓から大声で

「鬼は外!福は内!福は内!」 と叫びながら豆をまく。

福は内が二回なのがポイント。


俺は毎年のことながら恥ずかしくって声を張れない。


そして始まる恒例の菓子撒き。

これは俺たちが大人になってからはやってなかったんだけど
孫たちがそれなりの歳になったので去年より復活したという。





部屋を真っ暗にして駄菓子や小銭をばら撒いて
子供たちが必死に拾うという行事。

俺も見てて昔を思い出した。

来年は俺が鬼役になってこの菓子撒きに参加しようと決めた。

もう恥ずかしがってる場合じゃないね。





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Peace





祈りよ届け



ケニアにかかわる全ての人が心から笑える時がおとずれますように。。



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2008-01-31

札幌にて



両親とは今日でお別れ。俺は札幌で同期の友達と会った。

吹雪の中、円山動物園に行ってきた。

ケニアの大草原で見た動物たちに零下5度の北の土地で再会。
不思議な気分。

中でも印象的だったのはサル山の餌やりをしていた飼育員の笑顔。

客は俺たち二人しかいないんだ。
でも、その飼育員はおいしそうに餌を食べる猿たちを見守りながら
本当にいい笑顔をしていた。

心からサルがすきなんだなぁって顔をしていた。


夜はススキノの街でお食事。

ここ数日のお酒でかなり胃腸も弱っていたけどやっぱり久しぶりの
友達と一緒に飲んでりゃ止まらない。

結局二人でかなりの量のお酒を飲んだ。

北海道のおいしい肴もよかったけれどやっぱり友と話す会話が一番の
肴だね。

いろんな話ができた。いろんな話を聞いてもらえた。


そこの店員さんもとても感じがよかった。いい顔をしていた。





その子と話したんだけどある程度の歳になると生き様が顔に出る。

だからいい顔でいたいよね。って。

その顔は作れるものじゃない。にじみ出る物。

だからこそ生き様が大事。

人間はやっぱり顔だと思う。


札幌に来ていい顔をしてる友達に会えてホントによかった。




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2008-01-30

小樽観光




今日は小樽市内を回った。

母ちゃんの母校や親父の母校。
親父と祖父ちゃんが昔住んでいた家の跡地。
俺が昔よく行った市場や水族館。

俺の知っている良き小樽。


で午後はいわゆる小樽観光。

観光地化された運河。
ド派手になってた北一硝子やオルゴール堂。
誰が買うのかよくわからないようなガラクタばかりの土産屋。

ホントに日本って観光が下手くそだと思う。

こんなに素敵な倉庫街があってこれしかできないのか。。





親戚のおじちゃんが言ってたよ。

「小樽の人はここら辺には来ないよ。」

地元の人がいない街を観光するなら北海道でなくていいだろ。

俺にやらせてみなよ。悪いようにはしないからさ。なんてね。



(写真は親父の生家跡地)

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