相対的貧乏
ケニアは確かに貧しい。
だけど、ケニアより貧しい国はたくさんあるし、
国中が飢えているというような国ではない。
仕事がある人は贅沢さえしなければ十分生きていける給料をもらっている。
でも、ケニアにいると貧しさを感じる。
物質的な貧しさでなく精神的な貧しさを。
お金は持ってるのに誰かが奢ってくれないなら
昼飯を食べないおじちゃん。
お釣りを多くもらってもそれを返さないで心から嬉しそうな
顔をしてスキップしながら帰っていくおばあちゃん。
バスで隣の人がお金を落としたらそれをすかさず拾って
自分の財布に入れるおばちゃん。
乞食ではない子供が物をたかるのでその親に注意したら
"もっともらっとけ!"と言う親父。
こんな話もある。
田舎で両親をエイズで亡くした少女が道で1000Ksh札を拾った。
(1000Ksh=1600円 価値的には1万円札と同等)
それをネコババしないで学校の先生に届けたということが全国紙のニュースになる。
それも2面にわたる大特集。
「なぜ、彼女はネコババしなかったのか?」
って本気で討論しているってのは悲しい話だよね。
絶対的貧困と相対的貧困と言う言葉がある。
お金を持っていても周りと比べるとやはり貧乏になってしまう。
逆にお金持っていなくても周りも持っていなければ
余り自分が貧乏だとは感じない。
ケニアの場合は金持ちは本当に金持ちだから
相対的貧困度合いが高いのだろう。
相対的貧困は心まで貧しくしかねない。
格差が広がっていくのは日本も同じ。
俺も日本に帰ったら相対的貧乏になってしまうのだが
心までは貧しくしたくないと強く思う。
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