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2007-01-29

ワイナイナ復帰

2カ月の休暇からあいつがようやく帰ってきた。



やることはものすごくたくさんある。

休暇中にドネーションされたインターネットの設定。
WBSの計画の遂行。
そして、来週末に予定されている重要な会議の準備。
それと、出張の準備。

こっちの方は2カ月も待ってたくらいだから準備は完璧。
でも、俺がやっちゃったら意味がないから温めておいただけ。

「ワイナイナ。お帰り。
さて、俺達が最初にやるべきことはなんでしょうか?」

「何だっけ?それより家に電気を引こうと思ってるんだ。
電力会社に10分だけ行ってきていい?」

「・・・いいよ。」

彼が帰ってきたのは16:30。
10分が6時間になるのだ。
その後も彼の電気を引くための戦いはしばらく続き、ろくに仕事になっていない。

休暇中にやっとけよ。。。






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2007-01-28

フォトグラファーその2

昨日会った大石さんが今日はナショナルパークを回ると言う。
俺は参加する予定はなかったのだけれどパークで働いている隊員の家に
泊まっていたので俺も合流させてもらうことに。


動物カメラマンではない大石さんだが、そこはフォトグラファー。

200mmの望遠レンズを持って生まれて初めてというサファリに
興奮を隠し切れていないように見えた。

「あれがシロサイですよ。」
「どれ?」
「あの、遠くの方に見えるやつです。」

レンズを向ける大石さん。
でも200mmのレンズでは動物写真を撮るには足りない。

「ダメだわ。写らない。次行きましょ。」

サファリでいい写真を撮るのは難しい。

300mm以上の望遠レンズは必須だし、三脚を使うのも難しいから
高感度フィルムで高速シャッターを使わないと手ぶれでまともに写らない。

そうなるとデジタルの方が断然有利なんだけど、サファリは埃がひどい。
デジタルは埃に弱いからすぐに壊れる。

そもそもサファリは動物を楽しむ物だけではない。
無論、写真を撮って楽しむ物だけでもない。

あんな壮大な風景を小さなフィルムに切りとること自体素人には無理なんだ。

だったら、思いっきりその風景を体で感じて体に刻むことの方が大事なことだと思う。

でも、彼女はプロ。
それで飯を食っているんだ。

サファリの風を感じるそぶりは全くなくその200mmのレンズに写る世界が彼女の
サファリの世界のように見えた。


彼女の撮った写真を見てみたい。
世界各地でいろいろな物や風景を切り取ってきた人があの景色を、
俺が毎日歩いているあの街をどうやって切り取ったのか見てみたい。

俺が感じている景色と彼女が感じた景色はどう違うんだろう?


俺もカメラは持ってる。
日本にいる時から旅先には必ずカメラを持っていった。
でも、人物はほとんど撮ったことがない。

レンズを通すことによって俺とその人物のなかにへんな緊張が入るから。

風景もほとんど撮らない。

本当にきれいな景色はレンズを通さないほうがやっぱり美しいから。

だから、実際ほとんど写真は撮らない。

ここケニアでも治安の問題もあるけどフィルム写真は数えるほども撮っていない。

あんまり写真が好きじゃないんだと思う。

でも、写真を撮る目を持つことで今まで目に入らなかったものが見えてくることがある。
毎日見ている風景が突然違った物のように見えるときがある。
ありきたりの景色が突然不思議なほど感動的に見えるときがある。
ふとした表情にその人の全てが現れてるように見えるときがある。

だから、写真を撮る目で物を見るのは好きだ。

ケニアでも心の中で下ろしたシャッターの数は数え切れない。






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2007-01-27

フォトグラファー

前回の副大臣のようにフラミンゴが有名なナクルにはお客が多い。
その度に隊員が呼ばれて接待じみたことをする。
接待は本当に好きじゃない。断ることもできる。


だけど、自分が協力隊じゃなかったら会うことも難しい人に会えるんだから
こういうチャンスを逃すのはもったいない。

人生は人脈作りだ。

どこの出会いがどこでつながるかわかりゃしない。
だからこそ、一つ一つの出会いを大切にしたい。

で、今回はフォトグラファーの大石芳野さん。
女性フォトグラファーとしては珍しくずーっとフリーで
紛争地域の写真を撮り続けている方。

正直、お会いするまでは知らなかった。
JICAの2007年度のカレンダーにも使われてるし、
マンスリーJICAに裏表紙で特集もされている人。

そんな大石さんがHIV/AIDSの取り組みの取材ということでケニアにやってきたのだ。

小柄などこにでもいそうな中年の女性といった感じで、
有名なフォトグラファーというオーラは全く感じない。
(でも品の良さというか、可憐な感じがした)

食事の途中もなんとなく取材モードで僕らの活動の内容を聞いては
ノートにメモをしている。

昼食会くらい和やかにしたいし、仕事ではない出会いを求めている
俺としては嫌なムード。

フォトグラファーとしてのサガなんでしょうかね。
逆にこっちから質問するとうまく誤魔化して会話にならない。

昼食が終り、予定を尋ねると街の写真を撮りたいとのこと。


「ストリートチルドレンはどこで見られるの?」

「そこらじゅうにいますよ。。。」

なんとなく気が滅入って同期の隊員の家に飲みにいった。




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2007-01-23

今日の言葉(スワヒリ)

Words without actions are useless

Swahili proverb




言葉なんてしょせん言葉だ。



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2007-01-19

人の弱さ

かつての俺は弱者にたいして冷たかった。

「お前の努力が足りないからだ」


お前にできなくて俺にできるのは俺が努力して勝ち取ったからであって、
元から俺に備わっていた能力じゃない。

そんな甘えている人を容赦なく切り捨ててきた。
それが彼らのためでもあると思ったし、
彼らのせいで自分が足を引っ張られるのは勘弁してもらいたかったから。

ビジネスやスポーツといった真剣な世界ではそれが正しいことだったし、
そうしないと生き残れなかった。

でも、会社を辞めていろんな人達と出会うなかで、
そしてここケニアでもいろいろな人たちと出会って、
いろんな経験をして、いつのころからかこう思うようになった。

俺が努力できたのは誰かが俺を支えてくれたからだ。
彼らができなくて俺ができるなら、
俺が彼らを支えてあげるべきだったんじゃないのか?

人は強く生まれるんではなく強くなる生き物。
であれば弱い人間を突き放すのではなく、強くさせる。
ともに強くなる姿勢が必要なんじゃないか。

正しいことは正しい。
でも、正しいことが全てじゃないこともある。

今まで正しいと思っていた世界がいかに狭い世界であるかをここアフリカで痛感している。




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2007-01-17

風邪ひいた。

あんなに余裕かましたケニア山登山だったけど、
家についたら熱が出た。
情けないね。。。


でも、ワイナイナもまだ休暇中だしゆっくりするか。
ってことで今週は自宅でのんびりしていた。

まだ、自炊をする気にはなれないけれどゆで卵を作るまでには復活した。
ゆで卵とパンをほうばって少しだけ、人間らしい生活を取り戻したような気がした。

嫌なこともケニア山登れば少しは忘れられるかな。。。
なんて期待してたけどやっぱ無理。

忘れることなんかできるわけないんだから、しっかり見つめあって自分の中で消化しきんないといつまでたってもひきずってしまうだろうからここはどれほど辛くとも向かい合っていこうと改めて決意を固める。

なんとなく、前向きになれてきた気がする。

たまには風邪引いてみるのも悪くないかもね?




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2007-01-16

今日の言葉(アフリカ)

Do not separate your mind from your tongue

African proverb



ケニア山で誓った禁煙。
守んないとね。


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2007-01-15

今日の言葉(ガーナ)

Having no one to be with is worse than poverty.

Ghanaian proverb


この言葉を貧乏人のひがみと捉えるか、
貧乏の意味を知らない人が言ったたわごとと捉えるか。

それは人それぞれだけど一緒にいる人がいないというのが
淋しいことには間違いない。

来年の今日、俺は砂丘で大切な仲間と会うことになってる。

金はやっぱり必要だと思う。
貧乏は罪だとも思う。
人の心まで貧しくしてしまうから。

でも、やっぱりそれだけじゃないよね。

砂丘で砂は語ってくれると信じてる。

“お金なんてただの紙切れさ”ってね。



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2007-01-13

今日の言葉 (南部アフリカ)


A wise man adapts to his surroundings but a fool expects his surroundings to adapt to him.

South African proverb



日めくりアフリカ諺カレンダーを購入した。
ちょっと高かったけど1日3円と考えると決して無駄使いでもないだろう。

そして、朝そのカレンダーをめくるのが楽しみでもある。

知らない英単語を覚えられたり、ハッとするような言葉に出会ったりと
本当に買って良かったと思う。

そして、今日1月13日は南部アフリカの諺。

隊員に限らずともこの言葉に多くの物を感じることだろう。

これからもみなに伝えたいと思うような言葉に出会ったら伝えていきたいと思ってます。


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2007-01-12

Mt.ケニア 登頂記録 その3 "感謝感激"編

ケニア山登山3か目。

朝3時。まだ真っ暗な中を懐中電灯を頼りに登っていく。
なんで、こんな朝早くから?

それは、日の出を山頂で見るから。

でも、登ってみてわかった。
本当の理由は、

”明るいと恐くて登れないから”

太陽が出ると山頂付近の雪が融けてカツラクの危険も高い。
写真で伝わるかわからないけど、本当に直角のような崖を登っていくんだ。

捕まるところなんて何もない。
一歩足を滑らせたら確実に死ぬ。
そんなところを登っていくのは体力よりも勇気が必要だった。

そんなこんなで何とか山頂に到着。
山頂からは年に数回しか見えないというキリマンジャロが見えた。

初めての登山。そして、いきなりの5000m級。
感想は

"登山よりハイキングの方が楽しいね。"

でも、本当にきれいだった。登って良かったって心から思う。

この日は15時間歩き続けてヘタヘタになった。
でも、とにかく無事だ。

重い荷物をもってくれたポーターさん。
本当にありがとう。

おいしい料理を作ってくれたコックさん。
本当にありがとう。

安全にガイドしてくれたガイドさん。
本当にありがとう。

自分のペースを守りつつ、みんなを気遣いあったパーティのメンバー。
本当にありがとう。

3日も晴天が続くことは滅多にないと言われるケニア山での好天。
本当にありがとう。

そして、こんなに不摂生な生活をしながらも登頂できるほどの健康な体を
与えてくれた両親に感謝。
本当にありがとう。


山頂でとりあえず禁煙を誓ってみました。

感謝、感謝、感謝。








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2007-01-11

Mt.ケニア 登頂記録 その2 "Is this 天国?"編

ケニア山登山2日目。

個人的には今日がBESTだった。
ありえないような美しい景色のなかをぐんぐんと進む。

天国ってこんなところかな?


なんて真剣に考えてしまう。
見たことのない植生とケニア山の頂が俺達を取り囲み、
きれいなセセラギの麓でお昼ご飯。

俺のテンションは最高潮。

山登りって気持ちいいー!!

朝7時から15時くらいまで歩き続けたけど全然疲れてない。
スッゴい天気がいいからね。

富士山より高いところでTシャツ一枚なんだもん。
赤道だなーって感じる。

標高は4000mを越えていて、なかには高山病の症状が出始めた人もいる。
でも俺は1年以上標高2000mのところに住んでるから全然平気。
(ヘモグロビンの数が倍以上に増えてるしね)

2か目のハットからは山頂が目の前に見える。
ケニア山はなだらかな丘のようなところに突然針のような山頂が
つき出ているような形をしている山だ。
昨日、今日はハイキングみたいなもんだったけど明日は違う。

あの崖のようなところを登るのだ。。
ちょっとビビッテます。







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2007-01-10

Mt.ケニア 登頂記録 その1 "Is this 登山?"編

前々から企画に上がっていたケニア山登山。
標高は5199m。アフリカ第2の高さ。
経験者に言わせるとキリマンジャロよりも登るのがハードとも言われるケニア山。



俺は登山なんてしたことない。
しかも今の俺は人生でもっとも体力に自信がない。
体重は50Kgを下回っている。

絶対に無理だと思ってたから参加しないつもりだった。
仕事もあるしね。

だけどワイナイナから電話が。

"やっぱ、1月いっぱいは休むわ"

"・・・"

よし、登ってやろうじゃないの。そのケニア山とやらを。


ということで初日。
ナイロビから車で赤道を越えてナニュキという街まで移動して、
そこから初日のハットまで3時間ほどのハイキング。

象が出る森を抜けて、鼻歌交じりでテクテク歩いて到着。
標高は3000mくらい。

楽勝です。

でも、よく見てください。


我々の荷物は小さい。

そう、タオルやカメラといった物以外はすべてポーターが運んでくれる。
食事もコックが作ってくれる。
俺達はちいちゃいリュック背負って作られた飯を食べて

"きれーい"
"うまーい"

とか言ってるだけ。
これは登山なのか?

とにかく、満点の星空を見ながら初日は終了。






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2007-01-06

副大臣がナクルへやってきた。

日本から某省の副大臣さんがナクルにやってきた。
年度末になるとこうした意味のわからない訪問が増える。
JICA的にはこういう時に協力隊は使える接待のネタになる。

ということでナクルの隊員が副大臣との昼食会に参加することに。


場所はナクルで一、二を争う高級ホテル。
でも、しょせんはナクル。
サービスも味も大したことはない。
そこに大使やJICA所長、そして副大臣とそのお連れの方々が集まった。

副大臣もさすがそこまで上り詰めただけあって話術は巧みだった。
当たり触りなく、うまくその場をまとめていく能力は素晴らしいと思った。

でも、なかにはやはり心に響く言葉もあった。

"日本がここまで豊になったのもここ数十年の話なんです。

ちょっと豊になっただけで日本はあっというまにどこか

おかしくなってしまった。

私は途上国よりも日本の未来の方が心配です。

どうか、日本も途上国もその差はほとんどないということを

忘れないでください。"


と、だいたいこんなような内容。
常々自分もこういうことを考えていただけに拍手を送りたくなった。

援助してあげる。なんて傲慢な態度さ。

今の日本があるのも今の日本人が偉いわけでもなんでもない。
ご先祖さまが作り上げてくれた歴史とちょっとした好運が重なっただけのこと。
そして、自分が日本人として生まれてきたことだってただの偶然さ。




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2007-01-02

ショッピングも悪くはないね。



ケニアにはたいしたお土産物はない。
どこ行ったってガラクタみたいな物しか売っていない。
それもケニア産じゃなかったりするから買う気もしない。


たまに、"欲しいな"って思う物があっても

"自分は2年もケニアにいるんだからもっといい物が他にあるだろ・・・"

と思って買ってこなかった。

でも、任期も残り10カ月ほどになってくると

"今買わないともう二度と買えないかも・・・"

と思ってくるから不思議。

ということで今回は思いっきりショッピング。
今までサップウケイだった自分の家もケニアっぽくなってきました。かな?





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新年のご挨拶

みなさん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


本来なら年賀状を書くべきところですがBLOGにて失礼させていただきます。

ケニアに来て1年以上が過ぎ、ケニアで新年を迎えるのも今回が最後になりそうです。

なりそうです。なんて言ったのは任期の延長も真剣に考えているからです。
でも、最近は任期延長はかなり厳しい条件らしいのでどうなることやらわかりません。

昨年は自分にとって試練の一年でした。

苦しかった。

でも、その度に自分を支えてくれる皆様の存在に助けられたような気がします。
いつか、必ず恩返ししなければならないな。
そんな思いを噛みしめた一年でした。

今年もきっと苦しいことは続くでしょう。
でも、きっといいこともそれ以上にあると思ってます。

その恩返しの第一歩を始められる1年となればいいなと思う新年です。







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2007-01-01

本当のケニアへ その2 "生きてるという事がニュースになるのだ"編



今日は専門家の働いていた学校のスタッフの家に遊びに行った。
一人目はGizeeと呼ばれる学校の元アスカリ(警備員)の家。

彼は素手で豹をしとめた地元の英雄でもある。らしい。。



そんな彼の家は車の入れないところにあるのでひたすら歩く。

真っ赤な土と真っ青な空と真っ白な雲。そしてバナナ、コーヒー、お茶の緑。
そんないかにもアフリカという景色の中を歩くこと小一時間。
ツギハギだらけのトタンの家が彼の家だった。


途中、途中「シャトー」と声をかけてくる村人との会話の中で

「あいつは何してる?」
「生きてるよ!」

っていうやりとりが気になってはいた。
でも、ギゼーの家に行くまでは「変わった挨拶だな」としか思ってなかった。

「ギゼー元気?」
「元気だよ。シャトーは?」
「元気。元気。子どもたちは元気?」
「あいつは死んだ。そいつも死んだ。その嫁も死んだ。
残ったのはこの孫とわしら夫婦だけさ。」

その後も行く先々で死んだというニュースを多く耳にした。

そう、「生きてる」ということがニュースなんだ。


事故、病気、他殺、自殺。。。
死因はたくさんあるが彼らは多くは語ろうとはしない。
AIDSで死んだ人もたくさんいるだろう。

でも、それ以外で死ぬ人もたくさんいる。
先進国ではAIDSが話題になっているが途上国ではAIDSは死因の一つに過ぎない。

ギゼーの家の畑のなかに作られた子どもたちの墓はバナナの木とハイビスカスの花
に囲まれて不思議なほど美しく光輝いていた。

夕方は学校のスタッフを30年続けているミノルの家に行った。

夜、ちょっとそこまで飲みに行こうと山を二つ越えてバーに行く。
真っ暗ななか崖のような道を月と蛍の灯りをたよりに歩いていく。

前日に「泊まる場所はあるから」と聞いていた私たちなので
今夜はミノルの家に泊まることにしていた。
用意されたベッドはシングルベッド。

幅1メートルあるかないかのベッドに専門家と二人で眠ることに。
そういえば、今夜は大晦日。

年越しの瞬間はケニアの山奥のシングルベッドでイェール大学のPHD持ってる人と
一緒に寝てるなんてなかなか素敵じゃないか。


どこからか太鼓の音が聞こえてくる。
それは次第に大きくなり、歌声も聞こえてきた。
いくつ山を越えたところでそのリズムが刻まれているのだろうか?

とにかくそのリズムは本当のケニア人のケニア人のためのリズムだった。
朝まで続いたそのリズムは2007年の始まりを告げるには十分過ぎる演出であった。

しかし、それだけでは終らなかった。
朝、外に出てみるとそこには巨大なケニア山が朝日に映し出されて真っ赤に燃えていた。

今年はいい年になるに違いない。

そんな1年の始まりだった。








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2006-12-31

本当のケニアへ その1"途上国に住む事。田舎に住むということ"編



近所に住んでるJICA専門家は20年前にもケニアに協力隊として派遣されていた。
そこで年末年始はその専門家のかつての任地に行くことになった。

以前から彼からよくその任地のことは耳にしていた。

「とんでもない田舎なんだ」



そんな話を聞くたびに羨ましいと思っていた。

田舎の隊員は確かに生活が苦しい。
電気も水もない生活がいかに大変か。
それは住んでみないとわからない。

だからこそ住んでみたいのだ。
だからこそ俺は協力隊を受けたようなもんだから。


彼の運転する車でしばらく幹線道路を走り抜ける。
そして「あそこが任地だよ」と彼が言う先には山。山。山。

20年前は車が通れるような道ではなかったのだが今は乾期なら車は通れる。
ゆっくりゆっくり山道を車で抜けてその目的地 Walakwa Secondary School
にたどり着いた。

途中、途中住民が彼のことを見て「シャトー」(佐藤)と言って
興奮して走りよってくる。

彼も「お前は、ひょっとしてマイナか?」と名前を覚えているのだからすごい。

20年経っても覚えてくれる人がアフリカにいるということの凄さ。

俺はどうだろう。

今の職場の人はみんな地方から来た人だから地元に帰ってしまうだろう。
というより来月には転勤になってるかも知れない。

20年後どころか1年後に帰ってきたって知っている人はいないかも知れない。
そもそも俺のことを覚えてくれる人がいるのだろうか。。

何だか淋しくなった。

もちろん20年経っても覚えているというのは彼の人徳による部分が大きい。
でも、田舎というファクターも大きい。

なんせ村の歴史において外国人が踏み入れたのは彼と俺だけかも知れないのだから。

生活は苦しい。
生きていくだけで一日が終る。

そんななかで生きる事を経験するのが古き良き協力隊だ。

それは日本の若者にとってはいい経験だがケニアにとってはどうだろうか?

税金を使う限り両者にとって良い経験になるべきということで協力隊も田舎より
都市に多く派遣されるようになった。

そこには電気も水道もあるけれど、ケニア人が生きるだけでどれほど大変な
エネルギーを消費しているか知る由もない。

だから

「なんで時間通りに出勤しないんだ」、
「ケニア人はやる気無いな。」

と思ってしまう。

言うなれば野球の試合があったとして、俺達は睡眠バッチりで時間通りに車で到着。
ケニア人は朝まで徹夜で仕事していたうえに、何キロも走ってきたから遅刻した。

でも、俺達はそんな事全然知らないから遅れてきたケニア人に文句を言ってしまう。
そんな感じだ。

実際途上国では、特に田舎ではいろんな事が起こるんだ。
人はすぐ死ぬし、家畜の世話が最優先だし、水を得るのに必死だし、
火を起こす事だって本当に大変。

そういう事を俺はもっと知りたいから協力隊受けたんだけどな。。

今日は専門家の元生徒の家に泊めさせてもらった。
腹いっぱいのメシを食わせてもらって。。

大変だったでしょう。
こんなにたくさんのご飯を用意するの。

ほんとにありがとうございます。






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2006-12-26

崖。クラブ。今夜はクリスマス。

ナイバシャから戻りデイダンの実家へ。
そこはナクルからマタツ(バス)で30分ほどの村。



以前にHIV予防啓発の活動で行ったことのあった村だけど、
彼の実家はそこから更に車で20分ほど奥に行ったところにあった。

裕福な家らしく、広い庭に子どもたちとヤギ、牛、ニワトリが自由に走り回ってる。
そこでニャマチョマとシャンパンをご馳走になって昼寝していた。

まるで大草原の小さな家のような場所。
ほんとうに気持ちよく昼寝ができた。

デイダンが「コージ。崖行こうぜ。」と言うので行くことに。

彼の家の畑は「あの山からあの崖までだ」というその崖を見に行くのだ。
歩いて30分くらいでそこに着いた。

確かに崖だ。

でも、ただの崖じゃない。
めちゃくちゃ美しい。
天空の城から見下ろしているかのような景色がそこに広がっている。

普段女の事しか考えていないデイダンもその景色を久しぶりに眺めて
何かを感じていたようだった。

ナクルに戻っていつものクラブへ。
今夜もデイダンはいつものようにchick探しで忙しい。








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2006-12-25

クリスマス。やっぱキャンプでしょ。その2"天敵がいないとキリンも座る"編


キャンプ2か目。

キャンプ場の近くにあるHell's gate National Parkへ行ってみることに。




前からそのパークは気になっていた。
名前もさることながら、肉食動物がいないとされている(?)ので
ケニアで唯一自転車で入ることのできるパークなのだ。

キャンプ場で自転車を借りていざ"地獄の門"へ。


・・・すっげー。


アンボセリでケニアの美しさは知ってたつもりだけど、
またここの素晴らしさも格別だった。

普段、普通に見てるシマウマやキリンも自転車から見ると本当に生命を感じる。
ダイナミックで不自然とも思える地形のなかを走り抜ける野性動物。
そこを自転車で思いっきり走り抜けるヒト。

映画のセットようにも見える嘘のような本当の世界を駆け抜けた。


激痩せしたの今の俺には30Kmのサイクリングは相当コタエタ。
途中、よくわからない虫にさされて全身がカブレて大変だったけど
その信じられないくらい美しい景色と同志のバレーボーラーに励まされて
何とかキャンプ場に戻った。

そして、夜はディスコでクリスマスカウントダウン!
盛り上がってたけど、疲れちゃってすぐ寝ちゃった。

メリークリスマス!!




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2006-12-24

クリスマス。やっぱキャンプでしょ。その1"カバに気をつけろ"編

クリスマス。

どっか行ったことのないところに行こうと思った。



ボゴリアという湖でキャンプしよう!
と言い出したのはオーストラリア人のベン。

彼の計画はこうだ。

レイクボゴリアにはデヴィルズアイランドと呼ばれる住民も恐れて近付かない島がある。
そこでキャンプをしてカバと一緒に打ち上げ花火をあげて朝まで踊り明かそう!

最高じゃないか!ベン。
で、誰が行くんだい?

「俺とジミーと俺の彼女とジミーの彼女。・・・コージも行く?」

おいおい、俺はそんな野暮なことしませんよ。


ということで、クリスマスの計画を練り直した。
ナイロビからナクルに来る時にいつも目にしてはその美しさに感動している山と湖。
ロンゴノットとナイバシャ湖。
そこに行ってみよう。

って話をしてたら友達のデイダンが俺の友達も行くから一緒に行きなよ。ってことで
クリスマスは俺と協力隊の友達1名とケファという家族と一緒にナイバシャ湖でキャンプとなった。

マタツに揺られて1時間30分。
そこはビクトリア湖、ツルカナ湖に次ぐ大きさを持つナイバシャ湖。

淡水湖でフラミンゴはいないけれどカバはいる。
キャンプ場は湖のすぐそばでカバ注意という看板があちこちにある。

クリスマスということでテントがフジロックのように並んでいた。
ケニアではキャンプといってもアウトドアっていう感覚はない。
安く泊まれる手段といったところだ。

だから、そのキャンプ場の中にはバーもディスコもある。
明け方まで大音量で音楽が流れている。
眠れない俺達は明け方まで燃え盛る火を見ていた。。





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