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2008-05-17

陽当たり良好?




ご存知の通り俺のケニアでの趣味は洗濯物が乾くのを眺めることです。


真っ青の空の下で赤道直下の強烈な太陽が洗濯物をジリジリと乾かしていく光景が
たまらなく俺を幸せにしてくれた。


自分の畑の前の物干し台に広がる俺の洗濯物。

青々とそびえる俺の野菜たち。

バナナの花には今日もサンバードが囀っている。

隣人と一緒に日向ぼっこしながら何を話すでもなくただ乾いていく洗濯物を眺めるのだ。


でも、それはナクルでの話。

ここナイロビの俺の生活はそうはいかない。

アパートの1階に住む俺は狭いベランダに洗濯物を干している。

なかなか乾かない。。


俺の部屋は南向き。南側に陽を遮るような建物もない。

しかし、陽当たりが良くないのだ。





なぜならここは赤道直下だから。

真上に太陽が昇るから真南を向く俺のベランダには陽が当たらないわけ。

そう言えばナクルの家は東を向いていたな。。


洗濯機が欲しくなってしまう。





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2008-05-15

家庭教師

ケニアに来た理由のひとつに”しっかりと勉強する”というのがある。

そのひとつが英語。

前の2年では独学で勉強していてリーディングとリスニングはそこそこ伸びた。
でも、やっぱり話せない。。

スピーキングが無いTOEICだと点数は取れても俺の実際の英語力は仕事で使える
ものではない。

だからケニアにきたらスピーキングを中心にプロに教わろうと思ってた。

ナイロビにはいくつか語学学校もある。

日中は仕事してるから夜になるんだけどそうなるとプライベートレッスンしかなくなる。
しかもナイロビの治安を考えると夜の移動は避けたいので先生に来てもらうしかない。

そうなるとやっぱり金額がね。。

日本と同じくらいの料金を払うべきか??





悩んで知り合いのスワヒリ語学校の先生に相談したら"うち、英語も教えてるよ。"
ってことで値段も低めにしてもらって今週から始めました。

同じアパートに住む協力隊員も一緒にやることになってもっと安くなった。

安くてもただ英語が話せるだけのケニア人がやってきたら意味がない。

スワヒリ語交じりの英語は英語を勉強するには害でもあるのできちんとした先生
でなかったら辞めようと思ってた。

でも、その先生はすごく教え方が上手。しかも礼儀正しく、時間も守る。

少なくとも協力隊の訓練中の先生よりも教え方が上手いと思う。すごく親切だし。


しっかり勉強しないとね。




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2008-05-13

ケニアは貧乏ではない。



職場でいつものようにハランベーが行われていた。

ハランベーというのは日本の"結"に近い考え方であったと思うのだけど今はとりあえず
お金をみんなで出し合って助け合いましょう!という感じ。

このハランベーで学校や教会を立てたりしていてハランベーという言葉はケニアを象徴する言葉でもある。
(ケニアのサッカー代表チームの愛称はハランベー・スターズ)

普通はひとり50Kshとか100Kshとかなんだけど今回は10000Kshとか5000Kshとかハランベー
してる人が多くいて何事かと思ったらIDP(Internal Displaced People)と呼ばれる
避難民を救おう!という名目でキバキ大統領主催のハランベーだった。

翌日の新聞によるとこのハランベーでたった3時間でSh457Mが集まったという。
(8億円くらい。100円=58Ksh)

ちなみにキバキ大統領は500万Kshを寄付したという。

この金額にも驚かされるがさらに驚くのはこのハランベーが違法行為だということ。



モイ前大統領時代はこうした大統領によるハランベーはよく行われていたらしいが
やはり役人がハランベーをするといろいろと問題が生じる。

寄付をしないと出世ができなくなったり、強制的なハランベーになったり。
そもそも私的なお金だから使い道もあいまいになって汚職につながる。

だから今の法律では公務員によるハランベーは禁止されているというのだ。

でも、大統領自らが堂々と法律を破ってみせた。

"強制じゃないから違法じゃない"って言ってるらしい。

結局ケニアは法治国家ではないんだなぁと実感。
まぁ、モブジャスティスとか見てれば明らかなんだけど。


それにしてもこのハランベーの最終的な目標は300億Kshだという。
援助に頼らない姿勢は感心するがそんなお金がホントにあるのかな?


話は変わるが先日ケニアの大手携帯会社の株式が公開されることになって
ケニア人がこぞってこの株を買った。

で最終的に集まった金額が240億Ksh

※一説にはそれ以上


ワイナイナはこう言ってた。

「ケニアは金持ちだ。もう、俺はケニアが貧乏だなんて信じないぞ」

「じゃぁ、もう援助は要らないね」

「コウジ、俺たちは金はあるが技術はないんだ。道具を買ったってそれを使える人がいない。
だから技術は必要だよ。とくに日本の技術がね。」


こいつは相変わらず頭がいい。

ケニア人は金もあるしきっと技術だってあるんだよ。

無いのは"自信"かな。







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2008-05-10

Input/Output



今日もGoDownに行ってきた。

写真展の最終日でPoetry Readingのイベントがあったから。

2回目の写真展でもやっぱり胸打つ写真たちだった。

いろんなことを考えさせられながらケニア人のプロの詩人による詩の朗読が始まった。

英語やスワヒリ語の詩だから半分くらいしか聞き取れなかったけれどすごく良かった。


音楽なしの純Poetry Readingだったけどきちんとウタになっていた。

Poetry Readingを観るといつも思う。

"言葉は詩うために創られたんだ"





抑えきれない感情を言葉にするエネルギーに俺は震えを覚える。

その感情の高まりに俺は言葉の本質を見る。

そして言葉には魂がある事実を俺は知るのだ。



InputとOutputのバランスを保つ手段としての芸術を俺は愛する。






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2008-05-09

バルちゃん

俺の働いている役所には俺意外にも日本人が働いている。

俺が働き始めてすぐに彼女はこう言った

「バルちゃんはタヌキ親父だから気をつけてね」

バルちゃん(バルターザ)ってのは俺の働く部門のマネージャで俺の上司に当たる人だ。

ケニア人にも当然ながら気の難しい人や一緒にいて気持ちよくない人もいる。
だからあんまり気にはしていなかったんだけど今日その言葉の意味がよくわかった。


ケニアのお役所で働く上で気をつけなければならないのは上司をすっ飛ばして自分の仕事をしないこと。

もちろんこれは日本でもそうなんだけどケニアの場合は組織体系が目に見えにくいから難しい。

"え?この人が俺の上司だったの?"

みたいなことも起きるし、

"こいつはどうしようもない奴だから黙っとこう"

といった行為が仕事を著しく妨げることになったりする。


ということで俺は自分の活動計画を同僚と立てた後も上司とトップの了承を得るまでは
行動に移さないでおこうと考えていた。

で、そのバルちゃん。



彼はとても忙しいので何とか捕まえて活動計画の説明をしようと彼を見張る日々が続いた。

"どーも、バルちゃん、ご機嫌いかが?今日は時間ありますか?"

"今日はこれからミーティングだからダメだ。"

"じゃぁ、明日は?"

"明日の午後に来い。"


で、翌日の午後。

"どーも、バルちゃん、ご機嫌いかが?今から話せる?"

"今は忙しいからダメだ。"

"じゃぁ、明日は?"

"明日の午後に来い。"


ってのを毎日繰り返していた。

でもさすがに俺もいらいらしてきたんだけどどうやらバルちゃんのほうが短気だったようで。


"どーも、バルちゃん、ご機嫌いかが?今から話せる?"

"ダメだ!ダメだ!"

"ちょっとだけだからいいでしょ?昨日渡した俺の活動計画について話したいのよ。読んでくれた?"

"・・・"

"読んでくれたの?"

"お前はこの一ヶ月何をしてたんだ!何もしてないじゃないか!!"

"は?"

"俺が言ったことを何もやっていないじゃないかと言ってるんだ!"

"あんたが俺にやって欲しいことを実現するための活動計画を作ってたんだよ。
そのための調査をこの1ヶ月してたんだよ。だからその活動計画について話し合いたいんだけど。"

"そんなことはどうでもいい。お前がこの1ヶ月やったことを報告しろ!"

"そりゃいいけどその時間はいつくれるの?今は大丈夫?"

"今は忙しいからダメだ。明日の午後来い。"


ケニア人に叱られたことって今までなかったしその叱り方もとっても理不尽だったから
俺も久しぶりにカチンときてしまったよ。

で、同僚のスティーブに愚痴ったら

"あー、バルちゃんね。あいつはいつもそうだから無視してればいいよ。"


でも、ここはケニアだしそういうわけにも行かないんじゃないかと思って専門家に相談。

"あー、バルちゃんね。あいつはいつもそうだから無視してればいいよ。"


なんでもスティーブもその専門家もバルちゃんは全く相手にしていないようで業務報告も
メールで済ましてるんだとさ。


そんな感じだからバルちゃんも卑屈になっていってドンドン関係が悪くなっていく。


どうしたらいいのかねぇ。。



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2008-05-02

五月蝿

ワイナイナとこんな話をした


W:"ハエってのは何のためにいるんだ?邪魔だ。絶滅させよう。"

K:"でも、ハエも何かのためにはなってるかもよ。"

W:"ただうるさいだけじゃないか。それに病気を広めるし良いことなんかない。"

K:"だけど一度絶滅させてしまったら二度と復活できない。もし、ハエがいなくなってとんでもないことが起きたらどうするの?"

W:"・・・"

W:"よし、こうしよう。
どっかの研究所でハエを飼ってそこに隔離しておいてからハエを絶滅させるのだ。"






別に環境教育ってわけじゃないけどやっぱり簡単に絶滅させようなんて聞くと俺も
ちょっと気になって偉そうなことを言ってみたけどワイナイナのほうが頭が良くて
結局議論では負けてしまう。


で、ワイナイナの家に泊まったんだけどその朝信じられないほどのハエが俺を睡眠から醒めさせた。

ワイナイナ。やっぱハエなんて必要ないのかもね。。

ワイナイナの言うとおりにしてみるか?でもそういうわけにはいかんよね。







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ラフィキヤング

ワイナイナに再会した。

集合時間に電話したら「あと1分で着くから待ってろ」と言われ待ち続けること1時間。

やっぱりワイナイナはワイナイナだった。

再会しハグをして酒を飲み以前のようなくだらない話題を延々と続ける。
うれしくなる。


俺は前にケニアを去るときワイナイナに仕事を斡旋して帰った。

俺が教えた技術をワイナイナにもっと活かして欲しいから。
そしてワイナイナに恩返ししたかったから。

で、帰国間際に知り合いのNGOのダイレクターを紹介したんだけど
その後にワイナイナは年末の選挙前に彼から仕事の誘いをもらっていた。

コンピュータ関係のポストでそのでかいNGOのプログラムの一員になれるはずだった。
給料もぐーんとあがるはずだった。

だけど今回の大統領選挙で全てが変わってしまった。





そのNGOのプロジェクト自体も大変なことになっているだろうし、
なによりキクユ人であるワイナイナがルオーランドのキスムで仕事をすることなど
不可能な状況になってしまったのだ。

ワイナイナも「残念だけどキスムになんか行けるわけないし行きたくもない」と
言ってスミロフ・ブラック・アイスを飲み続けた。


そんなこんなで結局俺の前回の協力隊の最大の仕事は失敗してしまったわけだけど
彼と再会してこの6ヶ月でできることがあるならしてみようと思うのでした。





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2008-04-30

同期隊員

来週から新隊員が任地へ赴任するということで調整員のお宅でパーティがあった。
俺も新隊員ということで招待されたんだけどやっぱり微妙な立場。

でも、そんなことは酒を飲んでしまえば関係なくていつものようにガブガブ飲んで
やりたい放題やってパーティは終了。

おいしかったですよ。テキーラとナポレオン。

でも何だか飲み足りなくてそのまま新隊員がステイしている語学学校の宿舎へ俺も行っちゃって飲みなおした。


想像してみる。

今回の短期ボランティアがケニアでなかったら。。





初めての国。
知り合いもいない。
現地語も文化もわからない。
職場のやってることもさっぱりわからない。
協力隊も初対面。
空港から一人でやってきて数日後には放り出されて活動開始。
しかも任期はたったの6ヶ月。

こりゃ、大変だ。

まぁ、それでケニアを選んだわけだけど大統領選挙のせいで派遣が遅れていた
隊員と一緒にケニアに来れたのはラッキーだったな。

また同期隊員と呼べる人たちができたんだから。

先輩面しないように気をつけながら彼らといい関係を築いていこうと思う。





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2008-04-26

マンユー

ケニアではサッカーが盛んで特に若者の間の話題はほとんどがサッカーだ。
それもケニアのリーグではなくイギリスのプレミアリーグ。

同僚のスティーブはマンチェスターユナイテッドの熱狂的ファン。
今日は2位のチェルシーとの直接対決で今週はずっとその話だった。

俺はそんなに興味もないんだけどこれだけずっとその話をされてたら見てみたくなる。
ということでスティーブの家に行ってテレビ観戦。
スティーブの友達も何人か来てた。

ソーダとピーナッツで無言で観戦。





確かにサッカーは面白い。Jリーグとは比較にならないほど面白いサッカーをする。
でも、ソーダとピーナッツ。。

結果はチェルシーの勝ち。
マンUファンの彼らは無言のまま帰宅して行った。

んんんんんん。。。

きっともう二度と彼らとサッカーは見ないだろう。



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2008-04-25

人生は分母だ

日本を出て早くも1ヶ月。
あと5ヶ月。

早いなぁ~。

誰かが言ってた。

"年齢というのは分母だ"と。

1歳の1年が1とすると、
10歳の1年は1/10。
29歳の1年は1/29。
50歳の1年は1/50。

というように1年という時間は分母が大きくなればなるほど短くなるらしい。
29歳の6ヶ月というのは1/58になるわけですね。
その1ヶ月というのは1/348。

早いわけだ。。




でも、充実してます。
仕事も、私生活も楽しく時間が過ぎていってます。

時間は短くなっていってもそのぶん濃い時間をすごしていけばいいんだな。

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2008-04-19

Kenya Burning @GoDown



知り合いの写真家の写真展に行ってきた。

ケニアの選挙後の混乱をテーマにした報道写真展。

ケニア人や外国人のフォトグラファーが命がけで撮った写真の数々。

日本にいてはもちろんケニアにいてもなかなか見えてこない選挙後のケニアの実際。

そこには生々しいほどに映し出されていた。


おそらくケニアの政治家たちも知らない事実。
彼らにも見て欲しい。

こうした事実を知らずにはケニアでケニア人と一緒に働くことは難しいだろう。
だからこそ隊員を含めた日本人や外国人にも見て欲しい。





そしてその写真展が開催されていた場所もすごくいいところだった。

GoDownと呼ばれるその場所は芸術村と呼ぶべき場所でケニア内外のアーティストが
集まってダンス、音楽、演劇、詩、ペインティングやメタルアートなどのイベントが
定期的に開催されている。

Industrial Areaと呼ばれる工業地域にあるそこは倉庫を改築したところで
とても良い雰囲気だった。

ちょこちょこ顔を出したい場所がまたひとつできた。








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2008-04-15

ふと思う。

ケニアは昨年末の大統領選挙後の混乱で与党と野党が連立することで落ち着いた。

それで俺はケニアに来れることになったわけだがその連立政権がなかなか進まない。

でも、今日ようやく内閣が発表されたのです。


しかし、、大臣が42人もいる!!

みんなが待ち焦がれていたし前のような惨事は二度とごめんだから
みんな一応受け入れてはいるのだけど、みんな気がついている。

なんでこんなにでっかい内閣が必要なんだ?
彼らの給料は俺らの税金だろ!

そんな思いを消し去るかのようにムンギキが暴れだした。
ムンギキのリーダーの奥さんが警察に殺されたことへの反抗とのこと。

ケニア中で道路が封鎖されたりバスが燃やされたり警察と銃撃戦をしたりと
混乱が収拾されたと思った矢先の新たな混乱。

(俺の生活には不思議なほど影響はないんだけどね。。)



それにしても今回の選挙の混乱でいろんなことがうやむやになってしまった気がする。

アングロリーシングやゴールデンバーグなどの政治腐敗追跡もそうだ。

だいたい選挙は誰が勝ったんだ?
何の選挙だったんだ?
マジンボはどうなった?


全ての真相はムンギキと共に闇に葬られてしまうのか?





ケニアには超大物の黒幕がいて絶対に知られてはいけないことがあるんだ。

だから黒幕に認められた者が大統領にならなければならないんだ。

それでメチャクチャなやり方で現職大統領を再選させた。

強引に丸め込んだ連立政権への目をそらすためにムンギキが暴れているのでは?

なんてこと考えちゃったよ。


違うよね?M●Iさん。


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2008-04-13

ゴールにシュート

ナイロビの日本人がやっているというサッカーの試合に参加した。

隊員主催ではなくて日本の草サッカー見たいなノリ。

対戦相手はオランダ人のおっさんとケニア人の兄ちゃんの合同チーム。

人数も適当。ラインも適当。オフサイドは無し。

でもけっこうみんなうまい。




俺は予想通りすぐにバテてしまった。

でもいい運動になったし6月にはワールドカップがナイロビで開催されるらしく
それに向けて俺もレギュラー取りを目指してがんばろうと思う。




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2008-04-12

ここはケニアだったのだ。。

ナイロビで大きなアパートに住んでいて仕事もそれなりに忙しい生活をしていると
ここがケニアだということを忘れがちになる。

でも今日はここがケニアだってことを思い知らされた。

【本日の予定】
AM7:00 起床
AM9:00 フンジがボイラーを修理しにくる
AM10:00 洗濯
AM11:00 出勤
PM3:00 タウンで同僚と買い物
PM5:00 ナクルの友達と合流してナイロビのクラブでどんちゃん騒ぎ



土曜日だけど出勤の予定だった。
平日だとサーバーを止められないから週末に作業をするんだとさ。
集合時間は11時。

で今日は朝から雨。
俺の家のボイラーが壊れてて8時にフンジ(修理工)がやってくる予定だったけど
来たのは10時。

部品を交換するだけだからすぐ終わると思ってたら突然轟音と共に俺の家が水浸しに。。
ボイラーの中の水を抜かずに作業したためらしい。

あふれた水の処理をしているうちに11時になる。



同僚のスティーブに電話して遅れる旨を伝えた。

「ごめん、今家が大惨事で遅れそうだよ。」

「そうかい、でも今日は雨だから仕事は無しだよ。」

・・・お前、俺が電話してなかったら俺は傘さして職場に行ってたぞ!


そうこうしながら家も片付きナクルの友達に電話。

「ごめん、後で折り返すよ。」

と言われて待つこと5時間。

「今からウェストランドのBlack Diamondで踊るんだけどコージも来いよ」

時刻は22:00。

ナクルだったら行ったかもね。

でも、ここはナイロビだし、そのクラブは行ったことないし、
選挙後のケニアがどんなだかも良くわかってないので。。。


超忙しいはずだった土曜日は結局、家を一歩も出ずに終了。。


デイダンとBlackDiamondに行きたかった。。

ケニアの治安の悪さだけはやっぱり残念でたまらない。。




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2008-04-09

仕事状況

顔を覚えられるように便利屋としてちょこまかと働いている。

ナクルのときは便利屋として働くことが嫌で嫌で仕方なかった。

それは「ありがとう」と言われなかったから。

でもここではみんな「ありがとう」と言ってくれる。

その違いは何だろう?

人間性?

いや、仕事量と責任感だ。




この仕事が終わらなければ家に帰れない。上司に怒られる。ドナーに怒られる。

そんな中で仕事を手伝ってくれる俺の存在はホントに感謝できる存在なのだ。

だから彼らは心から「アサンテサーナ」と言うし
俺もそのありがとうのために気持ちよく働けるんだ。


そうは言いながらもただの便利屋しにきたつもりじゃないから色々と準備を進めています。
いやらしいくらいに戦略的に。。

来週あたりから動き出そうと思ってます。





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2008-04-06

ナイロビでも動物を数えてみた




ナクルでは何回か参加していたナショナルパークのアニマルセンサス。
ナイロビでも実施されていて近所に住む日本人の獣医さんに呼ばれて参加した。

ナクルとはだいぶ感じが違う。

車は参加者の持ち込み。
レンジャーも付かない。
参加者の大半がムズング(外国人)。

俺が担当したブロックは空港のすぐそばということもあってあまり動物がいなかった。




それでも途中で黒サイの夫婦にばったり遭遇した。

ナイロビの高層ビル群を背景にした野生動物は不思議な感じだけど
いかにもケニアって感じ。

やっぱりケニアって良いところだなぁ。

今回の滞在中にはアバデアN.P.に行って幻の滝を見に行こうと思う。





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2008-04-05

Karibu (Tena) Party

俺は赴任が遅れていた新隊員と一時待機帰国していた隊員数名と同じ飛行機で
ケニアにやってきた。

そんな彼らのウェルカムパーティに参加した。

俺も一応新隊員ということなんだけど先輩隊員みたいな扱いをされていて微妙な立場だ。

みんないろいろありながらもケニアで活動できる喜びを噛みしめているようで
良い表情をしていた。

だけどナイロビ滞在が長引いたせいかみんな金遣いが荒くなってるような??

良い携帯もってんねぇ~。

携帯でインターネットですか??

良い服きてるね~

良いアクセサリーつけてるね~




そういう俺もバカバカ金遣っちゃってます。
俺の冷蔵庫の中はタスカーでいっぱい。


気持ち的には協力隊というよりは仕事に来たビジネスマン気分。
だからいっぱい仕事して、いっぱい勉強して、いっぱい遊ぼうと思ってる。

金なんてそのうち稼げばいいじゃないか!?



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2008-04-02

Jambo Apartment 



俺の今回のケニア滞在は6ヶ月。
ケニアのことはよく知ってるから生活に対する不安はあまりない。
だけど家探しだけは大変になることは覚悟していた。

協力隊の予算で安全な住居をナイロビで探すのは本当に大変。
見つかったとしても6ヶ月のために家具をそろえるのも経済的に大変。

JICAは選挙後の混乱でてんやわんやだからあまりあてにもできない。
そんな中でも日本にいるときから住居のことだけはお願いしていた。
(あまり期待していなかったけど。。)

そしたら二つも用意してくれていた!

ひとつは同僚の家のホームステイ。

でその家を見に行った。

悪くはなかった。

いわゆるケニアの中流階級の人が住むようなエステート(集団住宅)で
ベッドルームも3つある。家具も一通り揃ってる。

ホントに日本の団地みたいな雰囲気で気に入った。
正直危険な地域ではあったがナイロビに安全なところがあるわけじゃないから
どうにかなるかなと思った。

でも、やっぱりホームステイはなぁ。。

職場でもずっと一緒でプライベートも一緒ていうのはやっぱりきつい。。


ということでもうひとつのアパートも見に行った。




そしたらそこは何と家具付き!家賃もぎりぎり予算内!!

速攻で決めて引越し完了。

同じアパートには何人か日本人も住んでいて隊員のドミトリーからも近い。
職場も歩いて20分ほど。

隊員としては贅沢すぎる生活かもしれないけれどナイロビでの生活で
隊員らしい生活なんてしょせん無理な話。

大満足です。

みなさん遊びに来てください。







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2008-03-31

初出勤

NASCOP
(National AIDS/STI COntroll Programme)

ここが俺の新しい職場。

同僚たちは忙しく働いていて外国人も数多く出入りしている。
各国のエキスパートや援助団体のスタッフ、そして各国からの学生。

そんななかで俺はボランティアとして働くわけだけどちょっとプレッシャーを感じてる。

同僚のレベルは高いしスタッフもみな世界的に活動しているような人たちばかりで
先進国の学生が勉強しに来ていたりする所だからね。

これが初めての協力隊だったらきっと

「こんなところに援助の必要なんてない!」とか言ってたことだろう。



協力隊なんて援助じゃないんだな。

名前のとおり協力する人間なわけだから俺ができることを俺なりにやって行けばいいのさ。

ということでまずはみんなと仲良くなって彼らの仕事ぶりを観察することにします。




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2008-03-26

Kenya Tena



自宅を出てから羽田->関空->ドバイ->ナイロビと待ち時間を入れて32時間。

再び訪れたケニア。

3ヵ月半ぶりに戻ってきたケニアはやはり美しくて、おれにとっては旅の興奮というより
はむしろ心の落ち着く場所になっていた。


強い日差しと青くて大きな空。
黒い肌に生える人々の笑顔。
どこからともなく聞こえてくる音楽と人々の笑い声。
ボコボコの道路の上の大渋滞と排気ガス。
雨上がりのタスカー。


実は飛行機の中でもまだ”ホントにもう一度ケニアに行っていいのだろうか?”
なんて考えていたのだけれどケニアの地に足をつけた瞬間そんな悩みは消えていた。




今日はひとつしたの後輩たちが日本に帰国する日だった。
俺が乗ってきた飛行機に入れ替わりに乗って行くことになっている。

何とか彼らに会いたくて空港の中を探し回ってようやく見つけ出した。

最後の最後で大統領選挙でメチャクチャにされてしまった彼らだったけど
やりきった隊員にしか見られないあの表情をみんなしていた。

たくましいと思った。

そして俺ももう一度がんばろうと思った。

それにしてもケニアで飲むタスカーは本当にうまい。



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2008-03-25

もう一度ケニアに行くのです。



ケニアから帰ってきて3ヵ月半。
俺は今日再びケニアに向けて日本を旅立つ。

今回は6ヶ月間首都のナイロビで生活する。

仕事の内容は前回と同様に保健局のコンピュータネットワーク環境の整備。


前回の2年で俺はケニアを満喫したし仕事もそれなりにやりきったと思ってる。
ケニアの友達と会えなくなったのは確かに淋しいけれど6ヶ月だけ会ったから
といって何が変わるわけでもない。


自分なりにもすごく悩んだ3ヶ月半だった。


ケニアにいる時からこの話はあった。
でも、断っていた。

援助というものに疑問を抱いていた俺は援助とは違った方向から世の中を良くする手法を
自分なりに模索していたのでそれに向けた一歩を早く踏み出したかった。

だけど俺が日本に帰ってきてすぐにケニアで大統領選挙を発端とした騒乱が起こった。

自分にできることが何もない歯がゆさ。
援助はやはり必要だという思い。
そして自分がいかにケニアを愛しケニアにお世話になっていたかを知るきっかけとなった。

そんな時に今回の話が正式に発表され3月から6ヶ月という期間であることを知った。
今回の職場は前回の時のヘッドクォーターでもあり知り合いも多い。
前回の職場は俺を求めていない状況だったので悔しい思いをしてきたのだが今回は違う。


"コンピュータエンジニアが欲しい!コージが欲しい!"


そう言ってくれているのだ。

前回も苦しい状況の中で俺は頑張ってはきたけどやはりどこかで


「どうせ、こんなの使われねぇさ。誰も俺に期待してないさ。」


という諦めという名の甘えがあったことを否定できない。

今回の状況だったらその甘えは許されない。




「この状況で俺はどこまでやれるのだろう?」


そんな挑戦したい気持ちが俺を奮い起こした。


俺はコンピュータエンジニアとしては経験も少ないし技術も低い。
だけどケニアの保健システムを理解していてケニア人のことをよく知っている
エンジニアはそうそういない。

俺の前の2年の経験をこれほど活かせるチャンスはそうはない。

コンピュータエンジニアとしてケニアに恩返しすることなど全く予想もしていなかった
けれどこれほど直接的に恩返しできるチャンスは無いと思った。



そして俺の協力隊後の人生において足りないものも見えてきた。

TOEICのスコアは伸びてはいるけど英語でビジネスするほどではないのは
俺がケニアに2年いた時に痛いほどわかっている。

俺の年齢を考えると次のステップに進むには即戦力でなければならない。

であれば新しい業界へ進むには実務経験を積むことが無理ならそれを補うだけの
経験とそれなりの姿勢を見せなければならない。

ケニアに2年いたというだけでは企業にとっては弱いのだ。

それにはその業界の資格を取ることが手っ取り早い。
だけど素人の俺がゼロから勉強を始めるには時間がかかりすぎる。金がかかりすぎる。

そんな時のケニア行きの話。
ケニアでなら英語も勉強できるし資格取得の勉強をする時間もできる。


そんな総合的な判断から俺はケニア行きを決めたのだ。


2年の任期を全うできずに帰国している後輩や任国変更になった後輩がいる中で
俺は2年+6ヶ月も活動することができる。

正直、申し訳ない気持ちも強い。
彼らの分までがんばるなんて無責任なことは言えない。

でも彼らのことは意識して行くつもりだ。

そしてケニアのために自分のためにこの6ヶ月を全力で消費してやろうと思っている。





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2008-03-22

浅草にて



俺がケニアに行くのを見送りに!ってわけじゃないけど徳島からあの男が東京にやってきた。
で関東のケニア男が集まって4人で浅草デート。

六区の汚いもんじゃ焼き屋でもんじゃ食べてホッピー飲んでものすごい数の観光客の間を
すり抜けて隅田川の川っぺりへ。

そしたら桜がポッと咲いていた。


こいつは縁起がいいねぇということであの金色のウンコの前で記念写真。




ジャケ写みたいだったので2年後ぐらいにCDでも作ってミリオン売ろうと決めた。

とりあえず俺はギター担当。


春満開の中、気心知れた男4人のぶらり浅草の旅。

気持ちがよかった。


次は徳島で会いましょう。




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2008-03-21

マンボ?

歌舞伎町でケニアから一時帰国している隊員と元隊員数名で飲んでいた。

だけどみんな会話に集中できない。

隣の客が気になって仕方ないのだ。。


だって黒いんだも~ん。しかも顔がルオー人っぽいんだも~ん。

だけどその連れ(後にメキシコ人と判明)が勘定が合わないと店員と大ゲンカしていて
なかなか声がかけられないでいたのだ。


だから俺たちもわざとでかい声で「あ~ギゼリ食べてぇ!」とか言っていた。

そんな中タイミングを図って「あのぉ、どこから来たんですか?」と声をかけてみた。
そしたらそいつベロベロに酔っ払っていて「中国人?」と言っている。

日本で中国人に間違えられたよ。。




ダメもとで「スワヒリ語知ってる?Unaweza kuongea Ki swahili?」

って聞いてみたら30秒くらい間があってから

「ナンデ 中国人がスワヒリ ハナシテルノデスカ?」と言って来た。

事情をスワヒリ語で説明するとまた30秒くらい間があった後に

「マンボ?」 と恐る恐る彼は声を発した。

そして俺たち全員で 「ポア!」と答えると彼はものすごくいい笑顔になって
その後俺たちはスワヒリ語で彼と飲み明かしたのです。

とってもいい奴で一時帰国している隊員はケニアにホームシックにかかっていたよ。

でも彼はケニア人ではなくてルワンダ人なんだよね。
だからスワヒリはカタコトで俺たちとだいたい同じレベルだったよ。


贔屓目なしにスワヒリ語ってすごくいい。
テンションが自然と上がる言葉だと思う。嫌なこともすべて忘れられるような挨拶の数々。

ハバリ? ムズーリ!
ジャンボ? ジャンボ!
マンボ?  ポア!
サーサ? フィット!
セマ? シナマネノ!


ね、自然と笑顔になるでしょ?




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2008-03-19

鯛ずくし




釣ってきた鯛を料理しました。

親父に習いながら鯛を3枚におろして刺身。

残ったアラで味噌汁。

小さい鯛で鯛めし。

一匹丸々の塩焼き。




想像を絶する旨さ。
きっと銀座の料亭なんかで食べたら俺の失業保険の1週間分が消えるね。

それが食べ放題。

これだから釣りは止められない。






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2008-03-17

サカナトゥーリ


親父と一緒に釣りに行った。
車に乗って新潟県の直江津まで行った。

今までも年に一度は親父と釣りに行っていた。
でも今回は初めての鯛釣り。

船に乗る人全員が同じタナを保たないとダメらしく素人はみなに迷惑をかけてしまう緊張の釣り。

だから俺はタナをキープすることだけに集中して”釣れたらラッキー”くらいに構えていた。

船に酔い、何度もゲロを吐きながら他の人が釣る鯛に

「綺麗なサカナだぁ」 とため息をついているとキャプテンが

「右舷の5番かかってんぞぉ~」と怒鳴る。

よくわからんが俺は船の右側の前から5番目。おそるおそるリールを巻くと何だかいつもと違う。

おっちらおっちらリールを巻き続けると海の中からピンク色した綺麗な鯛があがってきた。

その後もそんな感じで結局3匹を釣り上げた。

親父は7匹。





いつも家でテレビばかり見てる親父だけど釣りに行くとかっこいい親父が見れるからうれしい。

久しぶりに会った親父はだいぶ老け込んでいたけれど好きなことをやっている時はやはり
輝いている。

輝いている人を見るのは気持ちいい。

綺麗な魚を釣り上げるのはもっと気持ちがいい。


うれしいな、楽しいなサカナトゥーリ!










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2008-03-15

オザキユタカーズ



高校のラグビー部の連中と飲んだ。

思いのほか盛り上がった。

「お前は人としては最低だ。でも友達だ。だから最低でい続けろ!」

そんな男くさい話題を延々とし続けていつものようにベロベロに酔っ払った。


今度結婚する友達の結婚式の披露宴に俺は参加できない。

だから俺は彼らに託した。

「みんなでブルージーンズと白Tシャツで行ってフリーズムーンを熱唱してくれ!」




みんなはやってくれると信じている。

確かに俺は参加しない。最低だと思う。だけど俺はあいつらの友達だ。
最低な男を最高の男にするのが友達の仕事だと思う。

頼むぜオザキユタカーズ!!



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2008-03-07

もう一度ケニアへ行くのですか?

JICAから連絡があり3月25日にケニアに行くことに決まった。

ホントは3月23日に沖縄に行って友達の結婚式を祝いたかった。
3月31日の母親の還暦祝いを家族全員で祝いたかった。
4月には高校の友達が結婚する。

それなのに俺はケニアにもう一度行くのだ。。

ある友達は言ってくれた。

「もう行かなくてもいいんじゃないの?」




そうかもしれない。

でも行くと決めた。

それが正しい決断かどうかはわからない。

でも行くと決めた。

俺が決めたんだから俺が責任を取って俺が成果を残さなければならない。

それしかない。



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東村山にて

後輩隊員に会いに行った。

彼はケニアから一時帰国していてナミビアに行かないか?とJICAに言われている。
ケニアに戻りたい気持ちもありつつナミビアにも期待を抱いている彼に決心をさせて
あげようということで。

俺が何を言ったわけでもないけれど一緒に酒を飲んでいるうちに彼はナミビアに
行くことを決めた。




それでいいんだ。

どこにいたって空間は自分で作るもの。彼なら作れる。

ケニアを愛する人間はおそらく世界中を愛せるのだ。



ヨーイチwithヨイチ



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2008-03-01

益子にて その3 大人が本気で遊ぶと。。

今日は週末ということで友人の父親が内装工事の手伝いに来てくれた。
これで俺はその友人夫婦の両親4人と全員一緒に飯を食ったことになる。
何だかこれもすごいよね。

で、そのお父さんは自分が住んでる家を自分で作ってしまったすごい人。
そして35歳からラグビーを始めてラグビーチームを作ってしまったすごい人。
おまけにそのクラブ専用のグランドとクラブハウスを作ってしまったチョーすごい人。

というわけでそのお父さんに連れられてそのクラブハウスに行ってきた。

そこはラガーマンにとっての夢の国だった。





見晴らしのいい高台にある全面芝のラグビー専用グランド。
グランドの周りには桜の木が植えられている。
クラブハウスにはシャワーがあり更衣室がありバーベキューの囲炉裏があり
ビールサーバがありカラオケがありそして眠る場所もある。

ここでラグビーを思う存分して試合が終わったらシャワーを浴びてビールを飲んで
近くの川で釣った鮎を焼いて食べる。
カラオケを歌いながら死ぬほど酒を飲んで死んだように眠ることができる。

あー素晴らしい!

そしてそれが全部手作り。

あー素晴らしい!!


かつて俺の友人がその場所を見てこう言っていた。

「大人が本気で遊んだらやばいぞ!」


夢の場所を自分で作ってしまうことができちゃうんだ。

ますます益子が好きになった。







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2008-02-29

益子にて その2 栃木とアフリカ

友人の嫁さんが「今日母親とカフェでお茶してたら知り合いに会ったよ。
その人はアフリカから緊急帰国してきたんだって。」

よくよく聞くとその人は俺と一緒にケニアで働いていた隊員であったことがわかった。
世界は狭い、そして繋がっている。


その夜に近くの真岡という街でアフリカンダンスのイベントがあるというので友達と
行ってきた。

予想通りそのダンスと太鼓は西アフリカのもの(ギニア)で俺の知ってるケニアの音楽とは
全く別物。

ケニアの太鼓はもっと低音が効いていてそんなに激しくはなく同じフレーズが
延々と繰り返されて徐々に徐々にトランス状態に入っていくような感じだけれど
西アフリカのは高音で高速なリズムで一気にトランスに入っていく感じ。

これを蒸し暑い西アフリカで踊り続けるのかな?
日本人の西アフリカのダンスは何度か見たことあるけれどやっぱり西アフリカ人の
西アフリカンダンスを見てみたいなぁ。。




それにしても日本のアフリカンダンスの人気はすごいね。
アフリカ帰りということで目に付いてしまうことはあるけど日本各地でイベントがあるもん。

そのほとんどが西アフリカだから西アフリカンダンスと言って欲しいけれど。。
日本の踊りをアジアダンスと言ってるようなもんだ。


難しいことはぬきにして今回のイベントはとてもよかった。

ダンスはホントに上手だったし太鼓もすごく気持ちよかった。
会場が狭くて音がこもり過ぎで踊りたくなるようなハイテンションにはならなかったけど
西アフリカにもいつか行ってみたいと思った。




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2008-02-28

益子にて その1 陶芸の街、芸術の街

俺の友達が結婚して嫁さんの地元、栃木県益子町に住むことになった。
その嫁さんが自宅で始めるマッサージ屋の内装工事の手伝いをしに益子に行ってきた。

益子は陶芸の街。春と秋に開催される陶器市は大変な人だかりになるという。
陶芸の街といっても他の街と違うのは益子には益子以外から移り住んだ陶芸家が多いということ。

その友達の実家も陶芸家だしその近所にもポツポツと家があってほとんどが陶芸家の家。
ギャラリーも多く街中が芸術の香りがする希少な街。
友達の友達のギャラリーに行ってみた。若いアーティストがたくさんいることがわかった。
陶芸だけでなくガラス、鉄などの作品も多い。

友人がこの街に住むことになったのは偶然なんかじゃないんだと思った。




一気に春めいた暖かさの中で漆喰をこねたりペンキを塗ったりと体を動かして
久しぶりにうまいメシを食べた。




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2008-02-18

一時待機帰国と

ケニアの大統領選挙後の混乱で活動ができなくなった隊員の何人かが日本へ一時帰国している。
その隊員を励まそう!という飲み会を開催。

でも俺が思っていたよりもみんなしっかりしていた。
もちろんつらい思いもたくさんしているし志半ばで帰国している彼らは歯がゆい思いを
しているはずだ。
だけど前向きに次のことを力強く俺に語ってくれた。

そして「2年やりきった先輩はすごいと思う」なんて言葉をかけてくれた。




何だか俺が励まされてしまったよ。

2年やりきったのに俺はもう一度ケニアに行くわけだけど彼らの中にはケニアに戻れない
人もいる。
そんな彼らに申し訳ないという思いもあるけれどその分俺はやってやらなければならない
と強く思ったのでした。




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2008-02-16

宮古にて

ケニアでお世話になったDr.Gに会いに彼の住む宮古島にやってきた。
寒さに凍えて沖縄にやってきたけど本島も寒かった。
でも宮古はやっぱりあったかいと思えた。

懐かしいメンツで酒を飲んで昼寝してまた酒を飲んで犬と遊ぶ。

まるでここはナクルのような空間。

ほとんどどこも行かなかったけれどそれは予定通り。
俺は場所は変われどあのナクルの空間を求めてたんだ。





日本でだってケニアのような空間は作れるわけだし
日本が退屈だって言ってるやつはきっとどこに行ったって退屈なんだよ。

空間を作れ!




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2008-02-14

沖縄にて 酒と音楽と人と



ここは沖縄、浦添市。

今日はバレンタインデー。俺の友達の誕生日。
そいつが働くライブハウスでそいつを祝うイベントがあった。

そのライブハウスは3年ぶりに訪れたけど何も変わらないような懐かしさのなかに
音楽の素晴らしさを伝えてくれる刺激が相変わらず存在していた。

懐かしい顔もあれば新しい顔もあった。
どれも素晴らしい演奏でここに来るたびに「俺も音楽をやりたい」と心底思う。





ジャズピアニストのマコトさんとユージ君とタマシイと音楽について政治について
女について男について人生について沖縄について宮古について語り合う。
午前3時を回ったころにドラマーのスグルさんがやってきて6時まで語り合う。

ここはGroove。 音楽を愛する人が集まる愛すべき場所。

こういう空間をつくっているガチャさんは本当に愛すべき人間だ。



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2008-02-03

豆まき

我が家はどういうわけか節分にだけは相当な気合が入っている。

他の行事もそれなりにやってはいるけど形だけになってきているなか
節分だけは違う。

大量の豆を用意して窓という窓から大声で

「鬼は外!福は内!福は内!」 と叫びながら豆をまく。

福は内が二回なのがポイント。


俺は毎年のことながら恥ずかしくって声を張れない。


そして始まる恒例の菓子撒き。

これは俺たちが大人になってからはやってなかったんだけど
孫たちがそれなりの歳になったので去年より復活したという。





部屋を真っ暗にして駄菓子や小銭をばら撒いて
子供たちが必死に拾うという行事。

俺も見てて昔を思い出した。

来年は俺が鬼役になってこの菓子撒きに参加しようと決めた。

もう恥ずかしがってる場合じゃないね。





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Peace





祈りよ届け



ケニアにかかわる全ての人が心から笑える時がおとずれますように。。



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2008-01-31

札幌にて



両親とは今日でお別れ。俺は札幌で同期の友達と会った。

吹雪の中、円山動物園に行ってきた。

ケニアの大草原で見た動物たちに零下5度の北の土地で再会。
不思議な気分。

中でも印象的だったのはサル山の餌やりをしていた飼育員の笑顔。

客は俺たち二人しかいないんだ。
でも、その飼育員はおいしそうに餌を食べる猿たちを見守りながら
本当にいい笑顔をしていた。

心からサルがすきなんだなぁって顔をしていた。


夜はススキノの街でお食事。

ここ数日のお酒でかなり胃腸も弱っていたけどやっぱり久しぶりの
友達と一緒に飲んでりゃ止まらない。

結局二人でかなりの量のお酒を飲んだ。

北海道のおいしい肴もよかったけれどやっぱり友と話す会話が一番の
肴だね。

いろんな話ができた。いろんな話を聞いてもらえた。


そこの店員さんもとても感じがよかった。いい顔をしていた。





その子と話したんだけどある程度の歳になると生き様が顔に出る。

だからいい顔でいたいよね。って。

その顔は作れるものじゃない。にじみ出る物。

だからこそ生き様が大事。

人間はやっぱり顔だと思う。


札幌に来ていい顔をしてる友達に会えてホントによかった。




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2008-01-30

小樽観光




今日は小樽市内を回った。

母ちゃんの母校や親父の母校。
親父と祖父ちゃんが昔住んでいた家の跡地。
俺が昔よく行った市場や水族館。

俺の知っている良き小樽。


で午後はいわゆる小樽観光。

観光地化された運河。
ド派手になってた北一硝子やオルゴール堂。
誰が買うのかよくわからないようなガラクタばかりの土産屋。

ホントに日本って観光が下手くそだと思う。

こんなに素敵な倉庫街があってこれしかできないのか。。





親戚のおじちゃんが言ってたよ。

「小樽の人はここら辺には来ないよ。」

地元の人がいない街を観光するなら北海道でなくていいだろ。

俺にやらせてみなよ。悪いようにはしないからさ。なんてね。



(写真は親父の生家跡地)

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2008-01-29

小樽にて





















俺は日本に帰ったら両親を旅行に連れて行こうと決めていた。

どこがいいだろう?と悩んでいるうちに月日が過ぎてしまい
俺の親孝行願望も次第に衰えてきているのを感じていた。

これはまずいということで両親の反対を圧して俺が行きたかった
北海道に親子3人で行ってきました。

俺の両親は共に小樽生まれの小樽育ち。

両親はしょっちゅう小樽に帰ってるけれど俺は小学生以来帰ってない。
だから俺の帰国報告もあわせて行って来ました。




つくなり北海道の親戚が大集合していて寿司とお酒が待っている。

平日だったので車で帰る人が多く酒を飲むのはほぼ俺一人。

で、隣に座っているのは大の酒好きのいとこ(痛風持ち)。

酒の飲めない彼は俺のグラスが乾くことを知らないペースで酒を注いだ。


俺は今日生まれて初めて両親がいる前で、しかも大勢の親戚のいる前で
ゲロを吐いた。。

食べたお寿司も全部出ちゃった。。

みんなアフリカの話が聞きたいって集まってくれたのに俺が話したのは
ケニアのお酒の話くらいだ。。

一生の不覚。。




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2008-01-28

デニス

彼は俺の住んでた学校の敷地内に住んでいた。
二児の父親で歳は32歳。職場が市役所ということで近所の専門家の車で毎朝
3人で一緒に通勤していた。

仕事も勤勉で酒も週末しか飲まない。
子供をとても愛していた。

安月給ながら貯金して買ったパソコンをよく俺が教えてあげていた。
子供も俺を見ると遠くから自転車をこぎながら「コージ!」と叫んでいた。

彼はナクルではあまり見かけないキシー人。
人懐っこい笑顔で一発でいいヤツだってわかるような気持ちのいい人間だった。

そんな彼の生活が崩れていったのは俺が日本に帰る半年くらい前からだと思う。

彼は近所に大きな家を建てて引っ越した。市役所を辞めて民間の職に就いた。

それから会うことは少なくなったのだけど俺がタウンに飲みに行くと必ず彼がいた。

ベロベロになるまで酒を飲み、周りの客や店員に絡んでいた。
つるんでいる仲間も普通の仕事をしているようには見えなかった。

そんな彼はどこか痛々しかった。

彼のあの人懐っこい笑顔はもう彼にはなかった。


そんな彼がナクルの自宅で殺害されたと連絡があった。





キシイ人が政治的に殺されたとは考えにくい。
混乱にまぎれた犯行かもしれない。


ケニアではこの1ヶ月で1000人近い人が殺され25万人ほどが家を逃げ
避難生活を強いられている。

報道であるような人種問題が全てではない。
社会の歪みがこういう形でケニアの弱者たちに及んでいるのんだ。

そしてその歪みを作った責任は自分にもあるのだ。

デニスのあの笑顔を奪ったのは俺のせいでもあるんだ。


だけど俺にできることがわからない。



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2008-01-27

Utaenda wapi Kenya?

















年末のケニアの大統領選挙後の混乱は収まることなくエスカレートしていく。

そしてその暴動の波はとうとうナクルまで波及した。


もともとナクルは多数の部族が集まる都市で政治的には不安定とされていた。
でも、今回は他の都市より安定を保っていた。

それは思うに他の都市と比べて部族間のバランスが良くてどこの部族がマイノリティと
いえない状況だったからだと思う。でもそれは非常に危ういバランスだった。

そしてナクルで暴動が始まった。


一度火がついたら広まるのは早かった。

ニュースで飛び込んでくる知った地名と見慣れた風景。

とても悲しくなるとともに友人たちの安否が気になる。

ワイナイナには何度か連絡してるけど連絡が取れなくて不安な日が続いていた。


そして今日ようやくワイナイナと連絡が取れた。





「俺は元気だよ!家族も元気だよ。」

「確かに今のケニアの状況は良くない。
でも、ケニア人のことだからすぐ忘れてしまうさ。
あと1週間もすれば元通りになるさ。」

いつものようにどんな問題でも笑い飛ばしてしまう彼ら。

ケニア人ってどれだけ強いんだろう。

彼らの強さは正直理解できないところがある。


ただの強がり?
それとも生き残るためにそうした強さが必要なのか?

とにかく平和になってほしい。

でも、流した血を簡単に忘れてほしくない。
この血がケニアの抱え込んでいた問題をひとつずつでも解決していくことに
繋がってほしい。

苦しいときや悲しいときに苦しいと悲しいと言えるケニア人を見てみたいから。

ケニア人がケニア人として苦しんで本当のアイデンティティを得てほしいから。

でも、今苦しんでいるのは本当に弱いひとばかり。
このまま回復してもダメなような気がする。

どうしていいかわからない。
何ができるのかわからない。







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2008-01-26

今夜は君に会うことになっていたんだね

ちょっとプライベートで悲しいことがおきて軽く落ち込んでいたんだけど
今日はJICA新春交換会。

あんまり気が乗らなかったんだけど家で一人でいるとドンドン落ち込んじゃうから
顔を出してみた。

そしたらすごい偉い人ばかりで年配の方ばかりの場だった。
国会議員とかね。。


もちろんそうした中でも楽しい出会いは必ずあるのだろうけどちょっとそんな元気は
さすがになくてすぐに会場を後にした。

このまま帰ろうかなぁ、、って思ってるときにふと昔の友達を思い出して電話してみた。

そいつも予定がないってことでそいつが今住んでる吉祥寺に行ってきた。

そいつは大学時代の同じゼミの友達。

お互いろくに授業も出てなかったのでそんなに一緒にいた時間はないのだけれど
なんかの飲み会でじゃぁ「タイでも行くか!」ってことになって二人でタイに行ったことがある。

その後も何年かに一度会うような関係だった。

今回もそいつとは2年半ぶりくらいに会ったのだけどあっという間にFitした。




俺はあんまり元気がないからちょっと飲んですぐ帰ろうと思ってたんだけど
俺の中の何かがこいつを求めていたのかな?

そいつと会って飲みだして話し出すと "こいつとは今日会うことになってたんだな"

と思うほどお互いにお互いを求めていたかのような話題が続く。

なんかすごく元気になってきちゃって二人で遅くまで飲んで語り明かした。

うれしくなりすぎて殴りあいになって翌日にメチャクチャあばら骨が痛かった。
でも二人とも覚えてなくてしばらく

「何でわき腹痛いんだろ?」

って言ってた。

(思い出したのは翌日の昼過ぎ)


こいつと会ってようやく決心できた。

俺はもう一度ケニアに行こうって。




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2008-01-22

わからんなぁ、中京エリア。 犬山にて。














とりあえず今回の旅行は今日で終了。
今夜はエイズ対策隊員の飲み会が新大久保であるからね。

で可児の友達に犬山まで連れて行ってもらって名鉄で名古屋へ向かう。

その途中でLittle worldという岐阜でいろんな人から勧められた場所が
あったので行ってみた。

でも、1800円もかかるというので入り口で写真とって帰ってきた。

なんでもそこは世界中の料理が食べられるのだそう。だったら入場料とるなや!


次は犬山モンキーパーク。
思いっきり大阪の太陽の塔のパクリ見たいのがあってありゃなんだ?って
きくと「太陽の塔だよ」って答えるから「すっげー勇気あるネーミングだね。」
って言うと「いや、こっちのほうが古いんじゃない?」だって。

マジで?


気になりまくって中に入ろうとしたけどこちらも2500円で断念。






※どうやら本当らしくこっちのも岡本太郎作で「若い太陽の塔」というらしい
だとしてもこっちが古いならあえて”若い”とつけるだろうか?
詳しい人いたらぜひそのあたりを聞きたい。



で次に現れたのは桃太郎神社。

犬山ときてモンキーパーク、やっぱり次はキジですかい?


きくところによるとこのあたりの人は桃太郎は岡山でなくて犬山がオリジナルだと
信じきってるとのこと。

「ほら、あれが鬼ガ島だよ」

「え。。鬼ガ島って川の中州にあるの??」


まぁ、俺は岡山でも犬山でもいいんだけど面白そうだから桃太郎神社に行ってみた。

そしたら度肝を抜かれるようなもののオンパレード。

俺は久しぶりに大興奮してしまった。

そこで友人がこんなことをポツリと言う

「たしかここ鬼のミイラがあるんだよね」

マ、マ、マジでーーーーー!!!!


大急ぎで資料館に駆け込んだ。

でも、そこで俺のテンションは一気に落ちた。
思い出したくもないので中に何があったのかも書きません。


なんだか悲しい気持ちで友達と別れて名古屋に向かいました。

いろんな人に会えてすばらしい旅でした。

みなさんありがとう。また来ますね。


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2008-01-21

お風呂でチャッポリン。 下呂にて













可児から高山本線を下ること1時間少々で下呂につく。

むちゃくちゃ寒い。お風呂に入ったらきっと街を歩けないだろうと
思って小走りで街を散策。

そこに何の説明もなしにチャップリンの銅像が置いてある。

なぜここにチャップリン???



・・・まぁ寒いから温泉入ろう。


で友達が教えてくれたのは橋の下にある無料の公共露天風呂。
脱衣所も何にもないそこは橋から丸見え。

こういうの大好きでーす!

で入ってびっくり。ぬるーい!

湯量が少なくてドンドンぬるくなってしまうんだとか。。

でもずーっと入ってるとだんだんあったまってきて結局そこに1時間30分も
入ってました。




途中で地元の人と面白い関西弁の人がやってきたので地元のおじさんに

「あのチャップリン像ってなんであそこにあるんですか?」

ってきいたら

「知らんなぁ。。」

そしたら関西弁のおっさんがこう言った。

「お風呂にチャッポリンやろ?」



温泉はいいねぇ。






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2008-01-20

可児にて





可児市というところの同期隊員を尋ねに行ってきました。

けいちゃん という料理をご馳走になりました。
小倉トーストに挑戦しました。
ケニアでも食べた岐阜ラーメンを食べました。
小学生以来の大好きだったスガキヤラーメンも食べれました。
お姉さんが買ってきてくれたTusker Importを飲みました。




今日もたらふく美味しいものを食べて美味しい酒を頂きました。
その友達の家族といっしょに。

やっぱ実家めぐりはいいなぁ。

その人のことがよく見えてくるから。

次はどこへ行こうかしら?



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2008-01-18

万博記念公園にて





でっかいものツアー第3弾はここ!

そう太陽の塔です。

写真では何度も見たことあったけどこんなに大きいんだ。。。

大阪万博当時の写真を見たけれどありゃすごいよ。

未来に対する明るい情熱に満ち溢れていた時代なんだろうな。
暗い未来しか想像できない今の時代とはまったく違うんだろうな。





で、隣にある昔から行きたかった民族学博物館へ行ってきました。

無料でPSPを貸してくれて展示物の説明を動画で見れます。
すごい時代だね。

資料室ではかなり貴重な映像もたくさん閲覧できてかなり楽しめた。

特にマサイの戦士の昇格儀式の映像は見どころがあった。

「よくこんな映像撮れたな。。」って思ってたらエンドロールで

撮影:神戸俊平って出てきた。

神戸先生なら撮れちゃうんだなぁ。ホントにいろんなことしてる人だ。

人生は芸術だ!

芸術は爆発だ!

なら "人生は爆発だ!" ね。


爆発人生に生きてみよう。





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happy birthday えっちゃん

きっと生まれて初めての経験だと思う。

友達のお母さんの誕生日会に参加したのは。


鳥取で再会したそいつの実家にそいつの嫁と一緒に3泊もさせていただいた。
そして今夜は彼のお母さんの誕生日。

ケーキを買ってお花を買ってお父さんの手作り料理で盛大なパーティー!

お父さん、お母さん、息子とその嫁と俺。

まったく関係のない俺なのにそんなのお構いなしにパーティーは続く。


この家に3泊できて良かった。




家族っていいよね。

俺の家族だっていいんだけど、人の家族ってすごく新鮮というかなんというか。

この家族だからこいつがこう育ったんだなってのが見えるのが楽しい。

そいつの嫁もホントにホントにいい女だと思った。


ケニアでよく聞かれた言葉。

「結婚してるのか?何で一人なんだ?俺には理解できない。」


俺だって結婚したいんですぜ。
俺だって理解できねぇよ。

あぁ、家族を作りたい。。




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2008-01-17

富田林にて





大阪はあまり知らなくって河内長野に向かう途中の富田林というところで
わけのわからない物体がそびえ立っているのに驚いて俺は声を上げた。


「な、な、なんじゃありゃーー??」

「あ、あれはPLの塔だよ。」


PLってPL学園の?桑田?清原?で、いったいあれは何?


ということで今日はPLの塔へ行ってきました。



正式には大平和記念塔というのかな。

展望台までは入れないのだけど下のほうにある神殿までは入らせてもらえた。

そこに教祖様の教えが書いてあるのだけれど一言目が

”人生は芸術である!”

だったのにぶったまげたね。

なんせこの塔は高さ180mあるんだよ。
しかも教祖が粘土細工でつくったのをその高さで作っちゃったんだからね。

芸術だと思うよ。

ちなみにPLの花火は12万発!!最後の数分だけで8000発が打ち上げられるんだと。

まだまだ日本にも知らないものがたくさんあるんだね。




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2008-01-16

奈良にて







砂丘滞在時間はわずか2時間で京都に戻り酒を飲んで今日は俺のふとした発言

「大仏見たいなぁ」

で奈良へ行ってきた。

鎌倉で大仏を見たときなんだかあまりに安っぽくって奈良の大仏をもう一度見たいって
思ったのがきっかけ。

それがこれから始まる"でっかいものツアー"に繋がるんだから旅は辞められない。





で、奈良の大仏だけどやっぱりでかいねー。
あんなでっかいのが木造の家に入ってるってのが信じられん。

あの建物のほうがすごい気がしてくる。

時期的、時間的にあまり参拝客もおらずじっくりと大仏が見れた。
それとあの柱くぐりってのもチャレンジした。

ケニアで少し痩せた俺はスルリと超えられてホッとしてたらお寺の人が

「それ、あんた逆やわ。」

どうやらくぐりぬける方向が決まっているらしい。

鹿にどっつかれながら奈良っていいなぁと思いながら大阪の河内長野のそいつの
実家に行ったのでした。







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2008-01-15

砂丘にて



"コージ、いつケニアから帰ってくるんだ?"

"2007年の年末かな"

"じゃぁ、2008年の1月15日に鳥取砂丘でまた会おうな"

"オッケー"



そんなたわいもない会話をお互い忘れられず埼玉、栃木から二人は鳥取までやってきた。

これが男女の関係だったらとってもロマンチック。

でも相手は売れない画家。
俺はケニアから帰ってきたばかりの無職。




そんな二人は砂丘を全力速で駆け下りながら会っていない2年半が嘘だったかのように
前と同じように酒を飲みまくったんだ。

来てくれてありがとう。

お前に会うために俺はケニアから帰ってきたんだぜ!

Thank you for you!!



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2008-01-14

再会の地へ

ある約束を果たすべく鳥取へ。

でも鳥取はやっぱり遠い。夜行バスは好きじゃない。

ということで大阪にまずは行ってきた。

同期の隊員と一緒に大阪観光に連れてってもらって
その後高校の後輩とその同期の隊員と3人でモツ鍋食べて
バーで飲んで後輩の家でさらに飲んで。。


翌日は二人とも仕事だってわかってるからあんまり遅くまでつきあわせちゃ
いけないってわかってるつもりだったんだけど時間を見ながら酒を飲むって
習慣がもうあんまりなくなってて気がつくと2時近く。


盛り上がってきたときに後輩が

「じゃぁ、寝ますか?」

って言ったとき

「おいおい、こんなに楽しいのにそんなこと言うわけ?」




って一瞬思って時計を見て平謝り。

「ごめんなさい。明日何時ですか?」

「7時前には家出ますよ。」

社会人って大変なんだよね。ホントに俺は前まで働いていたんだろうか?





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2008-01-13

TOEICで実力試し

TOEICを受けてみた。

曲がりなりにも2年もケニアで英語の生活したんだからちょっとは点数上がってないとね。

過去問を解いてみたらまぁまぁ予想通りの自己採点結果。
初回でこれならいいんじゃない。なんて思って受けた当日。

リスニングの会話の内容じゃなくてどういうわけか話している人の顔を想像してしまった。

この人は黒人かなぁ?

この人はイギリス発音だからほっぺが赤いのかも。。

この問題はさっきの人と同じだ。やっぱり黒人だろうなぁ。。


そんなどうでもいいことばかり考えてしまって全然問題が解けなかった。。

恐るべしTOEIC。




思うんだけど今後はTOEIC対策をすることで多少は伸びるかもしれないけれど
実力がつくわけではないんだよね。(勉強すりゃ別だけどさ)

ってことは以前よりはスコアは伸びても就職にアピールできるほどじゃないから
まったく意味がないってこと?

うーん。英会話スクール行くのもお金がもったいない。
外国に語学だけを学びに行くのもどうしたもんか。。


もう一度、ケニア?





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2008-01-07

ニャミラ







さいたま新都心駅から夜行バスに乗ってやってきたのはここ富山。

おいしかった。。

ほんとに食べてばっかりだった。

お酒をあまり飲まない家族に大量に送られてきたビールのお歳暮を
片付けるのが俺の任務。

さすがに無理でしょ~。




なんて言ってたんだけど気がついたら空になってたよ。
何本飲んだんだろうね?

ほんとにお世話になりました。


写真はタラ鍋、富山の地酒とビール、寒ブリの刺身




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2008-01-02

新年はやっぱりこれじゃないとね

今年で何回目になるんだろう?

全員が結婚するまでは続けよう!と意気込んで続けてきた元旦マージャン大会。

俺がケニアに行っている間に代打を送り込んだものの既婚者が増えてきて前回は初めて
開催されなかった。

今回は各奥さんに直接断りを入れてなんとかこぎつけて開催実現。

これをやらないと年が明けた気がしないのよね。





みんなマージャンがチョー下手だから運試しみたいなもの。
実際マージャンの結果でその年の運勢が決まったりもしたりするから侮れない。

それからマージャン終了後にみんなで書初めをするのも素敵なイベント。

マージャンを始める前に昨年の書初めを広げて自己評価をしてから始まるマージャン。

12時を回って1月2日になるとタッちゃんの誕生日になるから電気消してケーキにロウソク
ともしてみんなで誕生日を祝うんだ。

今年は時間が足りなくてたったの2半チャンしかできなかったんだけど結果は
第一半チャンはビリで第2半チャンはトップ。プラスマイナスちょっとプラス。

いい年になるといいです。





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2008-01-01

2008年の幕開け














新年の瞬間は酔っ払ってコタツで寝てた。

翌朝までコタツで寝てしまい朝母親に起こされてこう言われた。

「あんたの2008年はろくなものじゃないわね。」





自己嫌悪。。


いい年になりますように。

皆さん今年もよろしくお願いします。





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