2007-02-11

言葉と思考

ケニアの国語はスワヒリ語である。
そしてケニアの公用語は英語である。
そしてケニアには50以上の部族語が存在する。

俺が日常使用している言葉は英語が80%、スワヒリ語が15%、残りは現地語。
(日本語除く)



どれも完全なコミュニケーションに至るにはほど遠く、現地語は挨拶しかしらない。
外国語でコミュニケートする時は二つのモードがある。

1)外国語で物を考えて外国語で伝えるモード。
2)日本語で物を考えて外国語で伝えるモード。

1)の場合感じるのは語学力に自分の思考能力も比例するということ。

どういうことかというと俺の英語はネイティブの小学生くらいのレベルなわけだが
俺の思考能力もそのレベルにまで落ちてしまうということ。

ケニアの人にとってスワヒリ語も英語も学校で習う。
多くの家庭では部族語が話されている。

日常の会話ではスワヒリ語が話され、仕事では英語が話される。
彼らの英語は文法的にも正しいし、ネイティブのようにすらすら話すし、聞き取っている。

だけど、彼らがどれだけ英語で物を考えているかということは??だ。
新聞やテレビで聞いたことのあるフレーズを使い回しているだけのように軽い会話。
ちょっと質問しても、回答はいつも教科書通り。
スワヒリ語にしても同じ。

現地語については俺が現地語を話せないから理解できないが、
言語を支配されるということは思考を支配されるということだ。

俺は英語は彼らよりヘタクソだが、言語を支配されなくて本当によかったと思う。


2)の場合感じるのはこの日本語の微妙なニュアンスを完全に伝えることは不可能だということ。

逆にいうと、ネイティブの話す微妙なニュアンスを俺がどれほど英語を勉強しようと
不可能だということ。

つまり、外国語を完全に理解することはできないということ。
これは認識することはとても重要なことだと思う。

理解できないからこそ、伝えなければならないし、組みとろうとしなければならない
ってことを忘れてはならない。
(そういう意味ではネイティブどうしでも同じことだね)

いずれにしろ、俺はもっと語学の訓練が必要である事には間違いない。
頑張ります。



2 コメント:

Hadija さんのコメント...

Blogでそちらの様子が色々伝わってきます。なつかしいです。

言葉っておなじ言語を話しても、
たとえば、おなじ日本語を使って会話をしても理解しあえないことがある

でも、違う言語を使ってもココロが通じ合うこともある。

伝えたい気持ち・わかろうとする気持ち、どんな言葉を使うときでも大事にしていきたい。

Tef-Tef さんのコメント...

そうなんだよね。
言葉なんて結局はツールなんだよね。
とにかく大切なのは中身。
伝えるものがなければ語学も上達しないのですね。
がんばります。